猛毒親に育てられて。

カテゴリ:父( 20 )

学校のストーブ

学校のストーブ

私と同年代であれば“学校のストーブ”が
煙突が付いていたって方もいるのでは?

教室は煙突は付いていませんでしたが
(小学校)保健室は付いていたな。

因みに高校はストーブではなくヒーターでした。

私は学校のストーブで思い出すことがあるんです。
給食を食べた後の休み時間でしたでしょうか?

クラスの男子が“カンペン”をストーブに置いていたんです。
カンペンって缶で出来た筆箱の事なんですが。
その男子が…遊びのつもりだったんでしょう。
大人しくちょっと太っちょなNくんのほっぺたに。

痛い話なので。これ以上は話ませんが。
Nくんが病院に行ったのは言うまでもありませんが。
(思い出すだけで痛い…)

私が毒親と関係のない過去の話をする理由はひとつ。
「お前は妄想癖がある!」と言い放った
サイコパスへ出来る精一杯の復讐です。

本当ならねーNくんの名前、学校名も出してやりたいくらい。

ニュース番組を観ていたら
ストーブの話題があったので。
久しぶりにあげました。

そうそう、過去のタイトル見ていたら
毒母分析ってあったけど。
サイコパスはいらないよねー。

だって。サイコパスだもん。
人間じゃない人分析するだけで時間の無駄(笑)

そうそう、株価下がっているよね。
サイコパス、わかりやすい嘘ついているけど。
株やってます(やってないと言い切っている)

どうなってるんだろーね。
知らんけど(笑)

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by rin-dream | 2018-10-12 20:02 | | Comments(0)

サイコパスがサイコパスである為に。

意味不明のサイコパス型猛毒父。

サイコパス型猛毒父の韓国人嫌いは何度も話をしてきた。

焼肉食べていて煙たくなったから窓を開けようとしたら
「韓国人に間違われる!」と怒鳴ったり

にんにくは嫌い。にんにくは韓国人の臭い。
だから、たまに韓国人の事を「にんにく」
と呼ぶこともあった。

子供の頃、○○は韓国人差別用語だから
使ってはいけないと学校で習った

たまたまその言葉をサイコパスが話をしていたので
「使ってはいけない!」と注意をすると。

「何言っているんだ!これは使っていい言葉なんだ」
「こうゆう言葉がある事も勉強しなくちゃいけないんだ!」
「知らないと社会で恥ずかしい思いをする」

と意味不明な勉強とやらをさせられた事もあった。
知らずに使っていると恥ずかしいが
知りながら使うのは恥ずかしいを超えてバカである。

そうサイコパスが大好きな「バカ」
あいつこそが世界一「バカ」である。

また、毒母の事を「ベトナム」と呼び
理由を聞くと「意味がわからないやつという意味」
「本当は韓国と言いたいが差別と言われるだろ?」

とこれまた意味不明な差別用語を使っていた。

同じように同和地区も同じ。
今じゃ高級住宅街地の○○は昔は同和だった。

と別に聞いてもいない事を教えてくれたこともあった。
(その後そこは同和地区ではなかったと判明)

因みに巣の隣は同和地区でもあり、
(同和地区の近くの住宅を買うのはバカらしい)

(やつは同和地区の隣の地区の土地を買ったが…)
(呆れて何も言えない)

また、サイコパス型猛毒父も毒母も私に隠しているが同和地区出身者である。

また、「芸能人はお金があって羨ましい」と私が言った時、
もしあなただったらなんと答えるだろうか?
「そうね、キレイな服着れるしいいね」
「好きなアイドルに会えるしいいね」
「おいしいものいっぱい食べられていいね」

はたまた「夜寝る時間も無い程忙しいらしい」
「安定していないから先が不安」
「プライバシーがなさそう」

プラスの言葉もマイナスの言葉もそれぞれあると思うが
そこはサイコパス型猛毒父。
いう言葉が違う。

「昔は一番身分が低くかったんだ」

いやいや、今平成ですよ???
何十年、何百年前の話しているのでしょうか?

サイコパスだからサイコパスなのである。

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by rin-dream | 2018-01-11 00:26 | | Comments(0)

とことん毒親。

ある時、スケジュール帳を開いた。
翌日の予定が気になった。

それは…
本来であれば半月前には届いているはずの【書留郵便】

しかし、住所変更届けを出して間もない事もあり、
中々届かない為、きっと宛先不明で発送元に戻っているだろう
そう思っていた郵便物。
(因みに住所変更届は引っ越し当日に提出)
(この時既に引っ越し後1ヶ月以上は経っていた)

◯日までに届かない場合は今日発送元に連絡を入れる
とメモを入れていたのを見たのだ。

私は発送元に問い合わせた。
すると以外な答えが返ってきた。

『受け取り印頂いています』
『追跡番号をお伝えしますので郵便局に問い合わせてください』

嫌な予感がした。

パソコンに向かい、追跡番号を入力。
すると…その大切な書留郵便だけが
何故か?毒親の巣に届いていた。
(それ以外の普通郵便は城に届いていた)

その後半狂乱になりながら郵便局に電話をするが、
相手は『申し訳ありません』というばかり。

しかし『申し訳ありません』の言葉だけで
私のこの数ヶ月間の努力を全て奪われる!
そんな風に思った。

それから数時間が経っても連絡が無い為
再び私から局に電話を入れる。

局の返事は『ご返却頂けません』

そりゃ返す訳無いよな…
毒親だもん。

しかし、必要なもの。
局員に「なんとしてでも取り返せ」
と怒鳴りつけ半日経ってようやく返してもらった。

もちろんそれはサイコパス型猛毒父が開けていた。
サイコパス型猛毒父が封筒を開ける時に必ずする癖が残っていた。

私は気持ち悪くなり、封筒を破り捨て
手を何度も洗った。

私の大切なものにサイコパス型猛毒父が触れた。

因みにこの話を知り合いにすると
どうして他人の郵便物を勝手に開け
中を取り出しているのか謎になっていた。

そりゃそうだよな。
普通は他人のもの勝手に開けてみないよな

人間じゃないもの
サイコパス(宇宙人)だもの。

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by rin-dream | 2017-10-18 18:05 | | Comments(0)

日に日に崩壊していく私。

しかしもうこの時私の全ては崩壊していた。
ただ何かが崩壊するのを止めていた。

しかしある日音を立てて崩れていった。
私は父に「時間を返せ」また怒鳴り散らした。

そして父に覆いかぶさり、
小さい頃された事と同じような事を
今度は逆に私がしようとしていた。

父は「痛い。痛い」
「ごめん。ごめん」と言っていた。

私は何度同じ言葉をしただろうか?
そして「助けて。ごめん」
同じ事を今父は言っている。

この気持ちわかるだろうか?
これが毎晩繰り広げられていた我が家。
私は何度も涙しながら意味もなく親に謝っていた。

そのうち、母がきた。
母に対して「(私が)暴れてるから足を押さえてくれ」
そう言った。

私はもうレオと同じ場所に行きたかった。
ここにはいたくなかった。

父も母も申し訳なさそうにしていた。
しかしこれが演技だったと翌日わかった。

しかしこの時父が言った言葉は傑作だ。
「レオ居なくなって寂しいか?」
「じゃ犬飼おう」

こんな単純な話しではない。
犬を飼って幸せになるとは思っていない。
たまたまレオと出会った。
運命の出会い。
私は犬を飼いたくてペットショップに行った訳ではない。
ただ、なんとなくだ。
そう。なんとなく…

私は部屋に戻り以前あけた壁と同じ所を蹴った。
驚く程の大きな穴があいた。
そしてタンスも蹴った。
また穴があいた。
何度もグーで壁を叩いた
指からは血が流れ出ていた。

もうこのイライラのはけ口を
どこに持っていけばいいのか?
わからなかった。

私はその後…眠りについた。

翌朝、息も出来ない程苦しかった。
肋骨にヒビが入っている?そう思う程だ。
そして足も痛かった。
よく見ると痣が出来ていた。

Aちゃんにメールを送った。
返事がきた「もし痛かったら病院に行って診断書もらっておいで」

仕事に行った。笑うと胸が痛い。
私は「身体をぶつけた」嘘をついた。

そしてこの少し前職場の人が
咳のし過ぎで肋骨が痛いと言っていた
これをもじって「〇〇病(その人の名前)がうつった」
と笑っていた。

しかしもう笑う気力もなかった。
ただ笑っていないと私は直ぐにでも
電車に飛び込んでいただろう。

本気で死ぬつもりでいた。
死しか選ぶ道、選択肢がなかった。

一生懸命笑って、喋って。
しかし…もう限界にきた。


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by rin-dream | 2016-12-29 02:40 | | Comments(0)

信書。

その時頭に浮かんだのは
発病してまだ数年しか経っていなかった時
体操、ツボ押し、漢方を取り入れ
西洋薬だけに頼らない病院だった。

ここにもう1回行ってみよう!
その後キチガイ病院に電話して次で最後にする。
その旨を伝えた。

そして最後の日に診断書を書いて欲しい事を言った。
その時「親展」でと私は言った。

数日後…届いた封筒に「親展」の文字は無かった。

その封筒の中身が手紙などの「信書」に該当すると
「信書開封罪」になる。

信書開封罪というのは刑法第133条で
「正当な理由がないのに、
封をしてある信書を開けた者は
一年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する」
親展扱いとなる手紙としては
宛名本人のプライバシーに関わる書面
(請求書や督促状や診断書)
査定や評価を行う際の資料となる
調査書などが挙げられる。

勝手に封筒をあけられた経験のある私は

全て親を貶める為の材料に使いたかった。
しかし…無情にも封筒には「親展」の文字はなかった。

封筒には「よりそってケア」と書いてある。
全く寄り添ってない病院。
やめて正解だった。
いやもっと早くにやめるべきだった。

私は社会復帰後数キロ落ちるだろう。
そう思っていたが、
予測を遥かに超えて体重はみるみる落ちていった。

お腹はすいた。
しかし食欲がない。
再び10代後半と同じ状態になった。

今だから笑って言えるが
ストレスで20キロ増えて、
またストレスで今度は15キロ落ちた。

周囲からびっくりされたが
痩せた理由に【ストレス】の言葉は
使いたくはなかった。
「サラダを多く取るようになったら落ちた」又は
「ネバネバ系を多く取ると痩せる」
私は笑ってそう応えた。

しかしお腹は空いているが食欲がない。
正直そんな日々を過ごしていた。
もうご飯を食べる事も出来なくなっていった。
お粥しか食べる事が出来ない日々。

ある時は母の髪の毛が入っていた。

母は余り他人を意識する事が無い傾向にある。
毎日入浴の順番は
母、私、父。
しかし母の後は汚かった。
髪の毛が湯船にプカプカ。
そんなのしょっちゅうある。
まだ数本なら許せるかもしれないが…
余りにも汚い日は湯船に浸かる気もおきない。

またある日一緒にショッピングに出かけた。
たたんである洋服を手に取り
気に入らなければ
その置いていた場所にそのままポイッ。
普通であれば【かたちだけたたむ】
ぐらいはするだろう。

要するに【あとの人の事を考える】
【他人の事を考える】ことが出来ない
からそうするのだ。

そして食べる意欲さえなくなっていた。
しかしある日お酒を飲む会が予定された。
ご飯を食べて、お酒を飲む。そしてそれを楽しむ。
自分の中で何かが変わっていった。


この頃にしてようやく
私にも「反抗期」というのがきた。


親の声、出す音(例えば歩く音)
全てが雑音に聞こえ始めた。

お酒を飲む会。それは旅先の事だった。
私は親には何も言わず家をでた。
初めての事だった。

いつも途中、途中で親に報告の電話を必ず入れていた。
私は小学生か?
いやそれが40歳になるまで続いていたからびっくりだ。

お酒を飲む会は…
結局その日はビール1杯飲むのがやっとだった。


ダイエットの神様が降りてきて
身体を動かし痩せた訳ではない。
食欲なくて痩せた。

会う人、会う人に「痩せた?」と言われた。
初めのうちは嬉しかったが
この時になるとその言葉は苦痛になった。



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by rin-dream | 2016-12-29 01:57 | | Comments(0)

いい会社。

私はその会社に入るのにあたって
数キロ痩せるだろうと思っていた。

施設は毎日父親が運転する車で仕事に通っていた。
電車では行けない程不便な所にあったからだ。

そして仕事が終わると必ず
スーパーのフードコートに行って
ジュースとお菓子を食べていた。

これからは自分の力で駅まで歩き、そして電車で通う
そして毎日ジュースとお菓子の生活は無くなる
その為数キロは痩せると思っていた。

会社に入って数日後私は右腕の激痛に見舞われた。
病院に行った結果「ヘルニア」
私の首は湾曲していなく、
真っすぐになっていたらしい。

直ぐに痛み止めの注射もいいが…
とりあえず湿布を貼って様子をみよう。
もし痛みがひどくなればもう一度病院に来てと帰された。

数日後私はもう右腕を動かす事も出来なかった。
部屋のドアを開けるのも出来なくなった。

私の部屋は和室。
ドアは引き戸。
もう引き戸を引く事も出来ないほどの
激痛に見舞われた。
病院に行こう!そう思った。

しかし父親からは…
「仕事終わってから病院に行けばいい」
と言われ、私の思いは却下された。

別に父が運転する車で病院に行く訳ではない。
駅前にある整形外科に行くだけだ。

しかし、右腕の痛みはどうしようもない
私は病院に行きたかった。
父はそれを許さなかった。

私はその時父親にとってこの上ない仕事についていた。
いわゆる「いい会社」
しかし、正社員ではなく、アルバイト。
と言うより…期間限定の障害者枠で入った職場だ。
その「いい会社」に入ってまだ1ヶ月も経っていない。

【外面がいい父】

は腕を痛がる娘を心配する訳ではなく

【会社に遅刻して信用を失う】

事を心配していた。
娘の腕の痛みなんてなんとも思ってはいない。

しかし、腕を動かす事も出来ない程の激痛なのに
病院に行く事を許さない会社。
それはもうブラック企業ではないか?
ん?こんな会社昔あったよな。

そう。私が昔働いていて、
最終的に潰れた会社だ。
風邪ひいて休んで怒鳴られた会社。

その時働いていた会社は…
ある日、職場の女性が傘を持たずに家を出た。
しかし駅に向かう途中に雨が降り出した。
駅に着く前に服がびしょびしょになった。
女性は職場に電話を入れ
「着替える為に一度帰宅するから遅刻する」
上司はすんなりOKを出した。
そんな職場だ。

私は遅刻して痛み止めの注射を
打ってもらう。その道を選んだ。
なかなか薬は効かなかったが
2~3日経ってようやく効いてきた。


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by rin-dream | 2016-12-29 01:40 | | Comments(0)

写真。

我が家では甥っ子たちが来ると
決まって甥っ子たちが好きな
エビ料理、イチゴが出た。
メニューは決まっている。
エビ料理とイチゴ

母は考える能力が無い人だった。
「おいしい」と言えばそれしか出さない。

ある日、食事中父が写真をパシャパシャ撮り始めた。
ちょうど反抗期に入りかけていた上の子が
「止めて」と言った。
しかし父は「今という時間は今しかない」
と手を止めず同じ角度で同じ写真を撮り続けていた。

確かに今という時間は今しかない。
しかし嫌がっている顔を撮って楽しいだろうか?
それは自己満足にすぎない。
残った写真は不機嫌な甥っ子の顔

また別の日、夏休みだった。
夏と言えば夏祭り。
家の近所でも毎年行われる。
夏祭りと言ってもたいそうなものではない。

ある年は…姉の結婚披露宴の日だった。
披露宴後姉は2次会へ
私の両親、親戚は皆温泉旅行に出かけ私だけ帰った。
帰り道私はサンダルを買った。
そして家路につくと夏祭りがあった。

小さな街の小さな集落である夏祭り。
今ではめっきり知った顔を見なくなった。
世代交代。
皆、子供たちだった人たちが
世代を越えその子供たちを連れてくるようになった。

私は甥っ子を連れて3人で夏祭りに出かけた。
そしてここでも父の勝手な写真撮影大会が行われた。
甥っ子は嫌がっていた。
そして…近くにいた子供たちが
私たちに聞こえるように言った
「盗撮だ」

悪夢再来だ。
この時甥っ子の心は傷つけられただろう。

昔旅行先で父の会社の本社前で写真を撮り恥ずかしいと思った私。
私と同じ思いしている甥っ子。
そして何も言えない私。

この日、私も姉も、そして甥っ子も
父の【嘘】に傷つけられた。

父は地元の地区の老人会に入っていた。
その会の人たちが言った。
あの子たちはどっちの子供?

これは別にその人たちが
悪気があって言った訳ではない。

甥っ子2人は顔が似ていない。
上の子は姉似、下の子は義兄似。
それでどっちの子と聞いたのだ。

この時普通なら普通に答える
「2人とも上の子」と。

しかし父はこう言ったらしい。


「どっちだろうね」

この人はイカㇾている。
そう思った。

別に隠す必要はない。
私は結婚もしていなければ子供もいない
それに対して恥ずかしいとは思っていない。

普通なら2人とも上の子で今小学生と幼稚園児でね…
と嬉しそうに孫の成長を話しするものではないか?
ここに嘘は必要だろうか?

あの日と同じだ。
小学5年生の時1年生?2年生?と
父の会社の人に聞かれた日
「言うな」と私が小学5年生と言うのを止められた日

この人は30年以上経っても
何も変わっていなかった。
もちろん成長などしていない。
ただ立場が父から祖父に変わっただけ。

その後また甥っ子たちが遊びにきた。
甥っ子たちは何が食べたいのか?で悩んでいる。
外食するか?家で食べるか?

外食ならどこにするか?
家なら何を食べたいのか?

父はどんどんイライラしてきた。
私にそのイライラが届いた。
もう40年近く一緒に暮らしている。
この人の事はわかりきっている。(つもりだった)

私は甥っ子たちを促すように言った。
「回転ずし行く?」
甥っ子たちがクビを傾げ悩んでいる中

父は私に怒鳴った
「余計な事言うな」

その後父はイライラしながら車で
大型スーパーに向かった。
車の中で父のイライラが爆発した。

大型スーパーでは子供たちが嫌いそうな寿司を買った。
(安かった為)
そして私に言った。
「お前は好きなの選べ」
しかし子供たちが嫌いそうな寿司を選んでいる中で
私だけ「握りずし」を選ぶ訳にもいかず
値段が同じようなばら寿司を選んだ。

私も好きなものを食べたかった。
しかし今思えば同じものを選べばよかったと思う
今更後悔しても、もう遅いが…

そして。案の定甥っ子たちは手をつけなかった。
しかし父は私に言った
「スーパーで買うより外食した方が安くて済む」

甥っ子たちが帰った後母にも言った
「スーパーで買うより外食した方が安くて済む」

文句を言うくらいなら…
別に【いい料理】を出さなくてもかまわない。

孫が来て嬉しいね。
お金無いけど楽しんでいって
とカレーで済ますことだって出来る。
背伸びする必要は無い。

またある時は勝手に父が店を選びそこに行った。
しかし…たまたまだったが
その店、数日前に甥っ子たちが外食した店だった。

もちろん甥っ子たちは拒否。
そして悩んで悩んで甥っ子たちは回転ずしの店を選んだ。

しかしその店は回転ずしでも高い店だった。
店は夕食時だというのに閑散としていた。
近くには安い回転ずし屋さんはある。
ここに来るなら、安い方を選ぶだろう。

甥っ子(上の子)は席に着くなり悩んでいた。
そして半泣きになった。
訳を聞くと…「食べれる物がない」
子供なりの配慮があったのだろう。

その後安い回転ずしの店に移動した。
その道中、母は姉が運転する車に乗った。
車内は父と私だけ。

父はずっと「だからあの店は高いって言ったのに」
と文句を言いたい放題だった。

その後少しずつ姉と甥っ子たちは我が家を遠ざけるようになった。
正解だ。

もしかして待つことを許してくれなかったのは
母ではなく父だったのかもしれない
今振り返ってそう思った。





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by rin-dream | 2016-12-29 01:38 | | Comments(0)

また建前。

その後私は親の思い通りに動いた。
その【障害者施設】入れられる前に通っていた
病院を無理矢理やめさせられた。
違う病院に変わった。
もう何年もかかっている先生。
私は先生には自分をさらけ出す事も出来た。

しかし…父が勝手に病院を変えた。
しかし精神科は特に
「いいと評判だから」
と、いい病院とは限らない。
先生と患者の相性というものもある。

また私は父にとって
【いい子ちゃん】戻っていった。

ある日私は怒りながら父親に言った事があった。
「なんであんな施設に入れた」と。

そしたら父は「病院の先生に勧められた」と普通に答えた。

今にも即入院!ならともかく
(つまり人を殺めるか)
(もしくは自分を殺めるイコール自殺)

普通に通院している人ならば

本人の許可無しに相手にその人の症状など
伝える事は出来無い。
守秘義務というものだ。

私はその時普通に自分を判断する能力はあった。
実際に【スケジュール帳】が残っている

日記を母に読まれて以降
私はスケジュール帳を日記がわりにつけている。
今、見直しても
その時自分に判断能力があったか?
否か?はわかる。

両親でさえその人の情報は伝える事は出来ない。

私は未成年ならともかく
もう成人したいい大人だ
しかしその病院はその掟を破った。

その上医師はこう言ったそうだ。
この病気は飲酒は絶対にいけない。
その後絶対飲酒NG
が出た。

外出する際も必ず「飲むな」そう言われた。
元々からお酒は大好きだった。
それを取り上げられた。


私から愛を奪い、夢も奪い、
【私】という存在価値も奪い、
そして最後には嗜好さえ奪った。

怒りがこみ上げてきた。
その後診察の度に
「幻聴は無いか?」と聞かれた。
面倒になってきた。

「あります」答えた後

私の病名は初めて【うつ病】から
【統合失調症】に変わった


私を障害者に仕立て上げ
障害者施設に送りこんだのだ。

父はただ単に朝起き仕事して夕方帰る。

ごく当たり前の生活を

【建前上】

させたかったのだ


【月1万3千円の給料】

なんてどうでもよかった。


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by rin-dream | 2016-12-29 01:27 | | Comments(0)

月給1万3千円。

私は数年前まで普通に普通の会社で働いていた

お局さまがいた会社では
周囲からも頼られる存在として
バリバリ働いていた。

それが、父が勝手に私を
【障害者】と仕立て上げ
【障害者施設】にいた

中には突然暴れ出す人もいた。
意味不明にぶつぶつ何かを呟いている人もいた。

周囲には普通に会話出来る人はいなかった。

私はこの施設に来てしばらくして
アルバイトを探して決めた。
その環境が嫌だった。

それはもちろんの事
理由はまだあった。

その頃私は月給約1万3千円で働いた。
もう一度いう。

【月給1万3千円】

日給ではない月給。

しかし決まったバイトは父により
無情にも辞めさせられた。

面接を受けたバイトが不採用の時は
「お前はあの施設でしか働けない」
と罵られた。

朝9時頃から4時頃まで
月曜日から金曜日まで働いて。

頭おかしくなりそうだった。
いや、もうおかしかったかもしれないが

生きている。
それだけで一生懸命だった。



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by rin-dream | 2016-12-29 01:26 | | Comments(0)

「障害者」とされた。自分。

環境が急変した。
突然「写真が欲しい」と父から言われた。
しばらく写真なんて撮っていない
専門学校の就活に使った写真を渡した。
しばらくして【障害者手帳】を渡された。
父がバタバタし始めた。
ある日家から遠い【障害者施設】に連れていかれた。
意味がわからなかった。
そこには数回連れていかれたと思うが余り記憶にない。
暖房がきいていて温かかった。

この頃だろうか?
履歴書を書けと突然言われた。

どこに出す為の履歴書なのかは不明だった。
が、私は書いた。

そして父に手渡すと…
キレられた。
理由は謎だった。

理由を聞いた
「何故幼稚園から書いていない」
と怒鳴られた。

言葉が出ない。
今時幼稚園から履歴書とやらを書いている
社会人は皆無だろう。

この人が考えている事がわからなくなった。

その後ある別の施設に連れて行かれた。
みんな黙々と白い布を折っていた。
それから知らない白髪頭のがたいの大きい男性に
ある場所に車で連れて行かされた。
春からここに通いなさいと
初日《名刺交換》とやらをさせられたトイレで身体の寸法を測られた。
この2点は覚えている。

そこではその後、
車に乗って数分にあるスーパーに買い物を行く
そんな日が一週間程あった後、
突然「今日からパンを作って欲しい」と言われた
お昼ご飯の時間になると
うーうーうなっていたり
突然立ち上がってぎゃーぎゃー叫ぶ人達と
一緒にご飯を食べていた。
私はまだ今、自分が置かれている状況を
把握していなかったのか?
もうしていたのか?
覚えてはいない。
ただAちゃんに
「私は何故ここにいるの?」
「ここから逃げ出したい」と
毎日のようにメールを送っていた。
それだけは覚えている。
この苦痛がわかるだろうか?
私は生まれつき障害があった訳ではない。
その後病気になって後遺症が残った訳でもない。
そして事故にあって身体に障害をおった訳でもない。
それがある日突然【障害者】になったのだ

想像して欲しい。
もし今アナタが普通に普通の会社に行っている人で
昨日まで普通に仕事をしていたのに
今日から【障害者】として
【障害者施設】に入れられたとしたら?

そこには【普通に会話】を出来る人はいない。
皆、話しのキャッチボールが出来ない人たちだ。

その中に突然入れられた。



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by rin-dream | 2016-12-29 01:25 | | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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