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猛毒親に育てられて。

カテゴリ:高校卒業~20歳( 14 )

誰も皆初めは初心者。

先にも話しをしたが、
私は電話を取るのが大の苦手だった。

仕込みの時は出る必要はなかった。
問題は清掃中たまに電話がかかってくる。

心臓バクバク。

しかし「若い」というだけで
電話に出ない事を許された。

一度だけ電話とった。

その時お客さんがたまたま
「〇〇はいふん〇〇〇〇」と
電話番号の途中に
「はいふん」と言う単語を使った

私はその時まだ「はいふん」の意味を知らず
店長に「はいふん」と平仮名で書いて
メモを渡した事があった。

今では笑える可愛い話し。

そして出勤最終日仲の良かったおばちゃんと
軽く飲もうって話になった。

店の一番端に座った。
私はその電話の話をした。

そしたらおばちゃんは優しくこう言った

「私も昔化粧品会社で働いていてね」
「毎日、毎日、お客さん来ないでくれ」
って思っていた。

初めはみんな緊張する。それが当たり前。
でもいつか慣れて普通に出来るようになるから…

たまたまだったがこの日、
初めてのバイトの子がいた。

彼女は手をプルプル震わしながら
手に持っているメニューの
番号を押す機械を持っている。

そして話す時は噛んで噛んで

でもおばちゃんはその子に対して優しく
「私はこの店のパート」
「緊張しなくていいから」
「ゆっくりでいい話してごらん」

私の中で何かが溶け出してきた



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by rin-dream | 2016-12-26 00:26 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

ようやく波に乗った私の人生。

隔週でバイト雑誌を立ち読みするようになった。

今思うと何故この時
バイト雑誌で就職雑誌じゃなかったのかは不明。

ただ朝から夕方までしっかり
仕事をしたいという思いだけが強くて
バイト、正社員に拘りは無かった。

なんとなく事務で探していた。

販売は親からの嫌な記憶。
それで避けた。

しかしどれも電話応対が必ずある。
電話応対は苦手と避けた。

そんな事をはじめて1年程経った頃だろうか?
ある日受けたいと思う会社が2つ同時に見つかった。

寝る前枕元に2つの求人票を置いて
朝、目覚めた時に思いついた方に電話しようと決めた

そして翌朝…決まった。
時間になったら直ぐ電話した。

面接をし、そして採用となった。

あとで聞いた話しだが
本当は別の人を採用予定だったらしい。

理由は私は職場まで家が遠かった。
それ程大きな会社ではなかったので
出来るだけ交通費を払いたくない。
これが本音だった。

ただその人は遅刻したのにも関わらず
謝罪もせず面接に臨んだ

遅刻しても謝罪がなかったのが
印象悪く私になったらしい。

初出社は2月14日だった。
バレンタインデーでたまたま覚えている。

日がなかった。
決まった7日~10日後。

お世話になった店長には渋い顔されたが…
仕方がない。




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by rin-dream | 2016-12-26 00:21 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

再び社会復帰に臨む。

その日が来た。
思っていた以上に早くに来た。

僅か1週間後の事。
12時頃~17時頃までの時間の短いバイト

工場系はAちゃんの勧めもありやめた。
(前回の事があった為)

今回は居酒屋のオープン前の仕込みや、清掃だった。
増員募集で決まった。

決まった人だけある日集められた。
私以外は全員ホールスタッフ

ここではとても人に恵まれた。
みんないい人。

中には気の強いおばちゃんもいたが
相手にしなければ別に問題はなかった。

仕込み作業が主で
接客はゼロ。

心のリハビリと社会経験として
私にとってはいい場所だったと思う。

この頃仲のいい男性も出来た。
男性の友人も出来た。
はじめて告白された。

私にとってはじめて経験が沢山出来た。
この頃まで私は男性が苦手だった。

一緒にいると相手を意識してしまう。
恋愛感情ゼロで話しが出来る。

そんな経験すら18歳になってはじめてできた。
(小学校~高校まで公立の共学だったというのに)

しかし、外の窓ふきをしていた時
私の人生このままで終わるのかな?と

ふと不安になってきた。

この時まだ10代。
今考えると未来は無限大に広がっているのに
何故か?不安になってきた。



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by rin-dream | 2016-12-26 00:20 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

人との出会い。

私は暴力事件のあったバイト先で別に友達が出来た。
たまたま友達の妹が光GENJIのファンだった。

この時の私は壊れ
「未来」を見る事が出来なくなっていた。

死に方を毎日考えていた。
しかし死ぬのは恐かった。

「助けて」の意味も込めて遺書を書いて送った。
多分開けて直ぐだろう電話がかかってきた。
「明日、学校休むから会おう」

翌日会ってとある公園を散歩した。
しかしそこで話す事は出来なかった。

場所を移してスーパーのフードコートで
ぽつりぽつり泣きながら話をした。

何を話したかは覚えてない。
しかし彼女からもらった手紙が出てきた

夢の話しをしていた。
きっと夢を両親によって潰された話しをしたのだろう。

私は神様じゃないからわからない。
だけどきっと朝は来る。明けない夜はない。

それは明日かもしれない
1ヶ月後、1年後、10年後
でもきっと来る。と…

その《きっと》に希望が見えてきた。

辛い時《頑張って》とよく言われる
言われても私は頑張って今がある
これ以上どうすればいいの?と言いたくなる

ちょうどその頃「いつかきっと…」
という曲を聴いていた。

涙の卵をかかえながら夢見る術もなくて
行く先のない明日だなんてあたり前のお話じゃないか
もう一日眠ってみよう扉(ドア)ができるまで

扉ができるまで

漸く扉が出来、そして開いた。



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by rin-dream | 2016-12-26 00:13 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

廃人のいちにち。

私は廃人になった。

毎日する事
1、お米の汚れを見る
2、空見上げている
3、何もしない

私はこの3つを日替わりでした。
2、3はほぼ同じようにみえるが違う。

春から夏に移り変わる景色を毎日眺めていた。

空を流れている雲。
雲は風にのって直ぐに顔を変える。
それを見ているのは意外と時間を忘れさせてくれた。

私は元々日焼けしやすい体質で普段から真っ黒。
それに対してAちゃんは色白

私はその肌よりも白くなり
そして体重が37キロまで落ちた。

今なら思う。
私はこの時まだ自分の本当の苦しみを
わかっていなかった。

あなたが悪い訳ではない。
全て親がおかしい。と。

3日かけて小さなおにぎり1個
食べるような生活だった。

家の中から1歩も出ない(庭すら出ない)月もあった。

その頃父から「精神科連れて行こう」と言われた。
まだまだ精神科が今ほど普通にある時代ではなかった。

「イエローピーポー」って言葉が
普通に使われていた時代

父は世間体を気にして
《精神科に連れて行く》脅す事はしたが
実際には行かなかった。

あの時行っていれば私の人生変わったのだろうか?
いや、行っていれば、私の心はここにきっと存在しない。
その後の私を見て頂ければ全てがわかる。


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by rin-dream | 2016-12-26 00:10 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

心身喪失の簡単な例え。

次の仕事決まるまで何ヶ月あいたかは覚えていない。
再び廃人になった。

1度ならともかく2度廃人になった。

いじめも耐え抜いた私ですら
親から受けた仕打ちによって
2度も廃人を経験した。

私は電話BOXの中で
ひとりもがいていた。

電話BOXはとても狭い空間。
私は外の世界が見えるが
外の人は電話BOXの中に気付かない。

私は出たくて出たくてもがくが
誰も気づかない

それがその時の私の心の中と
説明すれば簡単でしょうか?

最近になってはじめて聞いた。
これは《離人症》という病気だそう。

私はこの時と同じ経験は2度としたくない。
それだけは一生思い続ける事だろう。



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by rin-dream | 2016-12-26 00:07 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

母親の仮面をかぶった悪魔。

家に帰って「バイトを辞める」と言った。
母が激怒した。

私は自分の身体を見せ男の話もしたが
聞く耳を持ってはくれなかった。

「せっかく決まったバイトどうして辞めるんだ」
の一点張りだった。

もう私の味方は誰もいないと思った。

私は何度も説明し辞めると言った後だった。
母親はこう言い放った。

「同情されたいの?」

この人は母親という仮面を被った悪魔だ。



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by rin-dream | 2016-12-26 00:05 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

無惨な社会復帰。

なんとなく見つけた2ヵ月限定の工場でのバイトだった。
18時頃から22時頃まで。

駅からは遠かったので
とある駅から送迎バスが出ていた。

仕事をし始めた私に母は特に喜んだ。

身体動かす度に
《ちゃり~ん。ちゃり~ん》
どことなくお金の音がする。

《働くってこういう事か》と思っていた矢先…
また事件がおこった。

私がアクションをおこす度に
幾度となく起きた事件。事件。事件。

そしてまた漸く暗いトンネルから出よう!
そう思った矢先の大事件だった。

10分~15分程の短い休憩時間
私は工場のラインでトイレも行かず
友人と楽しい話しで盛り上がっていた。

そして休憩時間終了となった時に
男性の怒鳴り声が近くで聞こえた。

「お前俺の顔見て笑っただろ!謝れ」

誰だろう?
私はこの時ベルトコンエアーに挟まれているような状態。

直ぐにその男が私に対して怒っているのがわかった。
私の前にいた友達を押しのけ。
私の目の前に立ち仁王立になった。

もう男の顔なんてとっくの昔に忘れたが
その男の左ポケットにたばこが
入っているのは覚えている。

そして男は私を殴り始めた。
「謝れ!謝れ!」

父の顔が頭の中に浮かんだ。
しかし父と比べればこの男は屁でも無い。

そして絶対謝らない私。
そして殴り続ける男。

どうやって殴るのをやめたのか覚えていない。
私が謝ったのか?
それとも男が自ら手を止めたのか?

ただ言えるのはその場にいた人全員が傍観者だった。
誰ひとり助けてはくれなかった。

友人は悪くない。
私より1つ上のまだ19歳。
突然そんな場面に出くわして固まってしまったのだ。

しかし今思うと男性から殴られて
《父に比べると屁でも無い》
そう思う私はおかしい。
既に私の頭は狂っていた(洗脳されていた)

ただ許せなかったのはその男の友人、
そしてその場にいた男性全員。
そして副工場長。(工場長は休みだった)
止めに入る事は出来たはずだ

男の友人は仕事の終了後
「あの時行ってあげれなくてごめん実はあいつ病気で」
と言ってきた。

一番許せなかったのは副工場長。
副工場長はその場にいた。

だからあの時の事見ているのに
助ける事も声をかける事もなく

それを知っていてわざと私と男を呼んで
ニヤリと笑い「ふたりでゴミ捨ててきて」と…

その空気を楽しんでいるかのようだった。
もちろんゴミ捨ては拒否。

そしてその場にこそ居なかったが
工場長は私に対して暴力振るった男を
クビにし私に対して謝罪出来たはず

もしかしたら副工場長が報告しなかったから
知らなかったかもしれない。

しかし社員は工場長、副工場長だけではないはず。
誰か他の社員は知っていた(見ていた)はず

しかし何の対応もしなかったこの会社。
その後この会社は倒産した。

倒産しても仕方がない会社だったと思う。

私は家で虐待受けて
学校でイジメにあって
そして職場で暴力。
上司は見て見ぬふり。

これだけでは無く
この日の夜起きたこの事件のその後の話しにより

ようやく先が見え始めた矢先
私はまたも壊れていった…



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by rin-dream | 2016-12-26 00:00 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

マスク。

マスク。
私はマスクが大嫌い。

冬、風邪予防だとか。
化粧していない時用だとか。
例えば芸能人が変装用に使ったりだとか。

風邪や、花粉症でもないのに
使う理由がわからない。

とにかく大嫌い。

理由は簡単。
私は高校3年の秋に毒母に殺されかけ、
離人症を発症した。

しかし、まだ18歳。
これから人生まだまだいい事がある!と
なんとかはじめたアルバイトが工場だった。

本当なら東京の専門学校で
楽しく勉強していただろう時
私は片田舎にある食品工場で働いていた。

私は真っ白い上下の作業着。
マスクして、長靴、帽子を被って
目しか出ていないこの格好が大嫌いだった。

確かに外に出る喜びはあった。
しかし、毒母に殺されそうにさえされなければ…

当時を思い出す。悔しい思い。
だから私はマスクが大嫌い。

何やってるんだろう?
秋になればあの頃を思い出す。

そして、寒くなる頃
再び毒母に心を殺されるとは思っても見なかった。



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by rin-dream | 2016-12-25 23:53 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)

父にとっての記念日。阪神淡路大震災。

信じられない父の奇怪な行動(発言)の話しをしよう。

阪神淡路大震災が発生した。

数日後父が言った「神戸に行こう!」
当時まだ電車は神戸付近は電車は復旧していない。

私は思わず「何しに?」と聞いた。
驚く答えが待っていた。

「記念。こんな経験もうない。見物に行こう!」

私は開いた口が塞がらなかった。
被災された人は学校の体育館に避難してプライバシーもない

真冬。さぞかし寒かっただろう。
そして何も無い不自由な生活をしている方を
テレビで毎日、放送していた。

死者も何千人と出た。
それを《記念》と言った。

父はカメラを持って母と出掛けて行った。
帰ってきた後夕飯を食べた。

いつものように温かいご飯。
その中でこんな話しが出た。

「電車に乗ったら臭い奴がいた」
「何日風呂入っていないのか?」

笑いながらそんな話しをした。
その頃まだライフラインは復旧されていなかった。

自衛隊の方が仮設のお風呂を作って
そこで代わる代わるお風呂に入っていた。

毎日お風呂に入っていた人もいただろう。
しかし中には毎日お風呂に入る事が出来なかった人もいただろう。

炊き出しもあったかも知れないが
まだ冷たいお弁当を食べていた人もいただろう。

今、温かいご飯をいつもと変わりない状態で食べて
「臭い人がいた」と笑っている。
この人の無神経さに返す言葉はなかった。

父は78歳。戦争を経験している。
父は終戦を満州の大連でむかえた。

この頃の話は殆どしない。
理由は思い出したくないからだという。

父には双子の弟がいたが
どこでどうやって亡くなったのかも知らない。

祖母も髪を剃り上げた話しをしていた。
(女性とばれるとソ連兵に乱暴されるかもしれないからだそうだ)

満州で終戦をむかえた人の大変さは
ドラマでも見た。本も読んだ。

さぞかし辛かっただろうと思う。
経験のない私には想像も出来ない。

しかし満州にあった自宅を出て
日本に着きそこから日本にある自宅まで
お風呂には入っていないかもしれない。
だからこそ思い出したくないのだろう。

この人は、震災にあった人の気持ちを考える余裕はなく
自分の異常な好奇心の方が強いのだろう。

私の自宅を役所が検査しにきた事があった。
もし大きな地震がくれば必ず倒壊する。そう判断された。

もし倒壊した自宅を「記念」とパシャパシャ写真撮られた時
この人は何と思うのだろうか?

「人としての心」は持っていたい。そう思った。

それから何十年もあと、
サイコパスという言葉を知った時
改めて《父はサイコパス》と思った。





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by rin-dream | 2016-12-25 23:49 | 高校卒業~20歳 | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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