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猛毒親に育てられて。

カテゴリ:23歳~( 20 )

会社がなくなった。

会社を去る日が来た。
沢山の人からサンクスカード、贈り物をもらった。

私は律儀にみんなに挨拶していた(クビなのに)
しかし私にクビを伝えた直属の上司には会えなかった。


帰り支度を済ませて、
エレベーターに向かう途中、上司と会えた。
上司からは「守ってやれなくてゴメン」そう言われた。
私は大きな花束抱えて会社が見えなくなる曲がり角で
もう一度振り返った。

そしていつもの道を通って駅まで向かった
帰りの電車はいつもより長く感じた。
そして何故か?足がしびれているのが気になった。


翌朝、今日から会社行かなくていいんだ。
あれ程嫌いで毎日辞めたいと言っていたくせに
何故だか?寂しかった。


私が去った1週間後会社はなくなった。

私が去った3日後後輩も去った。
彼女は派遣だった。
そして時給を下げられた。
前から私がいなくなったら私も去る
と言っていたが本当に去った。
彼女はもう結婚が決まっていた。

彼女から仕事辞めたメールをもらった数日後
私は彼女にメールを送った
メールは返ってきた…アドレスが変わっていた。
その後の彼女の事は知らない。

私は辞める前に入ってきたばかりの年上の女性に
「100社受けるつもりでいなさい」と言われた。

そしてまた闇の世界に入っていった。


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by rin-dream | 2016-12-27 23:02 | 23歳~ | Comments(0)

その日がきた。

この頃私に「プロとしてなっていない」
そう怒鳴った上司にも変化が現れた。
ぽつぽつ十円ハゲが出来てきた。
数日後明らかにかつらをかぶってきた。
一瞬びっくりし、ずっと見ていたら

あのイケメン男性から笑いながら言われた
「ずっと見てない」と…

同じくして私の安定剤の量がどんどん増えて行った。

ある頃には安定剤の副作用で眠気が酷く、
仕事出来ずに後輩に
「ごめん。寝たい」と仮眠をとらせてもらう程だった。

彼女はまだ入って間もなかったが
ある有名な販売店で働いていた。
お客さんへの応対は素晴らしい程の出来前だった。

もう薬無しでは生活出来なかった。
毎日イライラとの闘い。
どこがうつ病なのだろう?

うつうつ苦しんだりしない。
イライラが増すばかり。


そして私にもその日が来た。
「◯◯さん今時間ある?」

それが何を意味しているのかは直感的にわかった。



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by rin-dream | 2016-12-27 22:57 | 23歳~ | Comments(0)

明日は我が身。

職場はある頃から危ない状況になってきた。

その状態を身体で感じた日があった。

ある日職場にお客さんが来た。
私はいつものように対応した。
その後女性の怒鳴り声が遠くから聞こえてきた。
隣のフロアの1つ年上の女性だった。
彼女は頭に血が上った状態で私に怒りをぶつけてきた。
「さっきの対応はなんなんだ!」

周囲は驚いている。何がおきた?
そして私の頭の中も何?
彼女が何故そこまで怒っているのかわからなかった
しかし数日後理由がわかった。
彼女はこの会社のクビ第一号だった。


実はその前に男性がいた。
しかし彼はクビではなく左遷。
しかしこれはたてまえ上の話。
1週間後彼は会社を去った。


彼女はとてもプライドの高い人だった
きっと彼女もクビ第一号に選ばれるなんて
思いもよらなかったのだろう

そしてあの日怒鳴ってきたのだ。
彼女自信も崩れていたのかもしれない。

その少し前に新しく私に後輩が出来た。
しかし彼女と私はうまが合わなかった。

お局様と私の面接官だった女性の友達の妹2人で
私の知らない所で勝手に面接し
勝手に採用して入社した。
私の後輩なら、私も面接官のひとりとして
中に入れて欲しかった。

初めての後輩。それがうまが合わなかったのだから
ふたりの空気は最悪だった。

電話も取らず椅子ガタガタさせていた。
彼女はお客さんに対して
あいづちを「ハイ」ではなく「うん」と使っていた
私のひとつ年下くらいだ。
私はそれに対して注意した。
それも面白くなかったひとつなのだろう。

しかししばらくして彼女は会社を去った。クビだ。
本当は私がクビ予定者だった。
お局様は私の事が嫌い。
それは自分が入れた子と嫌いな子天秤にかけたら
素直に自分が入れた子を残したかったのだろう。

しかし、この時私は社内での信頼も厚くなっていた。
会社は彼女をクビにした。

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by rin-dream | 2016-12-27 22:56 | 23歳~ | Comments(0)

本当はいい病院。先生の気持ちが届かなかった当時の私。

この頃1度病院を変えた。
本にも載った事がある有名なお医者さんだった。
予約したら…「じゃ半年後のこの日に来てください」
半年後???半年待って行ったが…

私は会社の会議室でこっそりと予約の電話を入れた。
その半年後。私はその会社を去っていた。
そんな事が起こるとは思ってはいなかった。

この病院では…
体操したり、ツボ押ししたり
西洋薬だけずに頼らず
漢方薬を使ったり人間本来が持っている力で治そう
そういう病院だった。
(勿論西洋薬も処方はされたが軽い薬ばかり)
でも私は【もっと治る(強い)薬出してくれ!】
と言う気持ちでいっぱい。
体操、ツボ押し、一度も試さず数ヶ月で元の病院に戻った。

この時私はもう「薬中毒」になっていた。
薬を飲むイコール治る

また前の病院に戻った。
薬を沢山出してくれる…

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by rin-dream | 2016-12-27 22:55 | 23歳~ | Comments(0)

新しいパソコンの理由。

もうその時には職場内はピリピリムード。

中にはそれでも楽しく仕事しよう
そう盛り上げてくれる男性がいた。

黙っていたらイケメン。
話すとスケベオヤジ。そんな男性だった。
男性には彼女がいた。
仕事は何している人?
聞くとCAと答えた。
どんな人か見てみたくなった。
しばらくして写真を持ってきた。

いちゃいちゃしている写真か?
デート中の写真か?ワクワクして見たら…
言葉が出なかった。
とてもキレイな人が乗馬をしている写真だった。
【住む世界が違う人】そう思った。

この人は本当にスケベオヤジだった。
ある日私のパソコンに変なメールが届いた。
それは開けてはいけないメールだった。
しかしこの男性が開いてしまった。
とても卑猥な写真が載っていた。

その後私のパソコンの調子が悪くなった。
そう、あれでウィルスに感染したのだ。
その後、会社を去った人のパソコンが
私に与えられた。

私は実はその人のパソコンが欲しかった。
私のパソコンは旧型。その人のは新型だったからだ。
旧型から新型へ…
ウィルスに感染し、会社を去った人のを与えられた。
複雑な思いが交差した。

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by rin-dream | 2016-12-27 22:54 | 23歳~ | Comments(0)

頑張っている僕もいる一緒に夢を叶えよう

私は小さな頃、小さな夢を持っていた。
ピアノを習いたい。

しかし許されなかった。
小学校1年生の頃
習わせてくれたのは
姉と同じそろばんだった。

その後、小学校3年生の夏頃だけプール
あとは数学教室。
この数学教室についてはここでも話しをしているが

それから凝りもせず毒母は
私を英語教室に入れた。
1日でやめたが…

そして高校受験を前に塾に通った。

私の人生の中で
親から習い事を許されたのは
全て《お勉強系》

ピアノはしていても
役には立たない。
そう思いがあったのだろう。

私の身近にはエレクトーンを習っている子が数人いた。

うちの子をいじめないで
と言ってきたあのお母さんの娘

双子コーデをしていたあの子の姉妹。

ピアノではなかったが羨ましかった。
訳のわからないボタンが沢山ついていて

そのボタンを押した後
鍵盤を押すと音が変わる
子供心にウキウキしていた。

ある日…猛毒父がエレクトーンを買ってきた。
古い、古いエレクトーン

当時エレクトーンを習っていたどの子よりも
古いエレクトーンだった。

しかし…私はお稽古はしなかった。
させてもらえなかった。

今もレオが使っていた部屋で眠っている。
ほとんど使われなかった。

少しだけ私はエレクトーンを習っていた。
その時少し使った。

しかし先生から
『足は使ってはダメ』と言われ
鍵盤を叩くくらいだった。

使ってはいけない理由。
それは鍵盤の太さ。と本数。

今ある物とは全く違う
変な癖がつくので
『使ってはダメ』と言われた。

買ってもらった当時には既に古かった。
それから数十年。
もっと古くなった。

元々ヘッドフォン対応していない。
習い始めた当初
ボリュームを下げ必死になって
チューリップを弾いた。

その後先生から好きな曲を弾いてもいいと言われた。
私は迷わず《フラワー》を選んだ。

辛いばっかりで明日がみえないと嘆く背中に
若いくせにさ哀愁たっぷりでやるせないよね

僕らの愛の花咲いた時みんなで喜びを分かち合おう
こんなに頑張っている僕もいる一緒に夢を叶えよう

私はキンキキッズのファンではなかった。
しかし、背中押されているような思いになった
《こんなに頑張っている僕もいる》と…

私は保険金詐欺事件後
貯めていた貯金を使いエレクトーンを買った。

ひとり暮らしがダメになったその当時
何か夢中に出来るものが欲しかった。

しかしそのエレクトーンも今は大きな物置。
私と似たような境遇のこのふたつのエレクトーンの最後。



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by rin-dream | 2016-12-27 22:00 | 23歳~ | Comments(0)

仕事の覚え方。

この職場で嫌な事たくさんあった。
お局様からの陰湿な嫌がらせもそう。

でもその分色んな事学ばせてもらった。
有難い会社だったと思う。
私は何も出来ない子だった。

私と同い年だけど職場では1年先輩の女性がいた。
たまたま彼女のお客様応対を見た。
所作が余りにもキレイだった。
私は彼女から接客方法など学んだ。

お局様は言った。
「パソコン使えないなら習いに行け」
しかし仕事の為にお金は使いたくなかった。

では私がとった方法。それは…

パソコンが壊れるのではないか?
と思われるくらい、パソコンを使いしつくした。
ありとあらゆる所にマウスを持っていってポチっ。
これを繰り返した。

次第にパソコン(Excel、Word)に
関して詳しくなっていった。

私はそれから約数年後

学校のワープロ教室初回で入力スピード競争でダントツの1位を取り
先生からワープロ検定受験を勧められ見事合格。

勉強時間ゼロ分で秘書検定2級を受け
残り時間20分程残して終了させて一発合格だった。

これは私の中でひとつの自慢としている。



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by rin-dream | 2016-12-27 19:32 | 23歳~ | Comments(0)

イエローピーポー。

両親の別居、その後また一緒にはなったが
ただひとつ屋根の下に暮らしているだけだった。

【家族】というかたちはもう無かった。
ただの【同居人】
いやもうとっくの昔からなかったのかもしれない。

ある日身体の異変に気付いた。
夜寝て、起きると…寝てからまだ1~2時間。

またそれ。また。その繰り返し。
今日、明日、明後日。状態は変わらなかった。

これが1ヶ月程続いた頃、友達に相談した。
友達曰く
「私の母も不眠症になった」
「だけど内科で睡眠薬出してもらってすぐ治った」

私は安心した。すぐ治る。との言葉に…
私は直ぐに内科に向かった。

近所でも有名な程のヤブ医者だった。
(田舎の為選ぶ病院が無い)

この際文句は言ってられない。
医者は

「あなたはまだ若いから睡眠薬は出せない」
「定剤1ヶ月分出しておく」

私はこれで眠れると思ったが…
状態は昨晩と変わらなかった。
そして1ヶ月後も。

また同じ内科に行った。
そしたら「今日は何しに来たの?」

前回と同じ先生だ。
とりあえず前回と同じ薬を1ヶ月分出され帰された。
(全く効かない薬だったのに)

状態は変わる事はなかった。

1ヶ月後もう一度友達に相談した。
友達から返された言葉は
「内科で無理なら精神科しかないんじゃない?」

私が精神科?
ショックと同時にどうして?という思い。

イエローピーポーのお世話になる事になったのだ。
もう笑い話では無かった。

そして会社で時間を見つけては
ネットで検索するようになった。

探した結果、職場と自宅の間辺りにあった病院に決めた。
先ずは下見。ぱっと見た瞬間精神科には見えない外観。

病院の前を何度も行ったりきたり。
横目で病院を見て確認。

笑ってしまうかもしれないが、
当時はまだ精神科に行くなんて言えない時代。

よしここにしよう。
数日後恐る恐る入ってみた。

病院らしくない病院それが精神科と知った。
病院特有の消毒液の臭いはしない。

そして【変な人がいる】と思っていたが…
【変な人】はいなかった。

そしていざ診察。
話していくと寝てないのは危ない。
睡眠薬出すので直ぐに寝てください。
病名は「うつ病」です。

一瞬聞き間違い?と思った。
私はうつうつしている訳ではない。

ただ眠れないだけ。
それがうつ病?

薬を飲むと驚く程眠れた。
と、同時にイライラが増してきた。

ここから何十年も病院渡り歩く
生活になろうとは思わなかった。

私はほんの少し薬飲んで直ぐ治ると思っていた。

そこの病院では医師を1回変えてもらった。

2回目の医師からは
バス事故により下半身麻痺が残り
死ぬ事も考えた女性が元気に回復(心の回復)
する内容のカセットテープを渡された。

しかし私には何も響かなかった。
何故そのテープを渡されたのか意味もわからなかった。
その病院は直ぐにやめた。

その後病院を転々。

会社近くのある病院にたどりつきそこに居座った。
これが長引かせるひとつの要因になろうとは…

まだ気づいていなかった。




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by rin-dream | 2016-12-27 19:27 | 23歳~ | Comments(0)

負の遺産。

ある日おばあさんが亡くなった。

私の中では言い方を変えている。
おばあちゃんイコール母方の祖母。
おばあさんイコール父方の祖母。

おばあちゃんの事は大好きだった。
ある日、おばあちゃんに言った。
ここの人が喋ってる言葉変と。
そしたらおばあちゃんは直ぐに返答した。

じゃあおばあちゃんは
「〇〇(私)が喋っている言葉変」と…

ただ単に子供が言った一言だ。
でもおばあちゃんは子供に対して真剣に向き合った。

「人それぞれだよ」
それを教える為にそう言ったのだろう。

そしておばあさんが亡くなった。
私にとっては何もない日常の日だった。

母からマインドコントロールされていた。
【ああ亡くなった】
他人事だった。

母と姉は目を真っ赤にして自宅に帰った。
人が亡くなる瞬間を見たのだろう。
母からのちに「おばあさんは軽い痴呆だった」と聞かされた。

しかし私にとっては他人事だった。
それよりも心配だったのは
数日後に控えていた
ジャニーズJr.コンサートだった。

場所は東京ドーム。
公演は2日間、2公演あったが
両方「神席」と計算はついていた。
1日目はアリーナ最前!ともわかっていた。

おばあさんが亡くなった。
それよりもコンサートが心配になり父に言った。
「コンサートを優先する」

翌日地方から父の姉2人がきた。

実母が亡くなった。
家に来たのは姉妹2人だけ。
お互いの旦那の姿はなかった。

姉2人は久しぶりの再会を楽しんでいた。
そう、母が亡くなった以上に再会を喜んでいた。

自宅に帰った時ふと家を見上げた。
秋の夜空。窓は全開。

父の姉2人がいた。私は怒鳴った。
すると、こうもりが入ってきたからどうしようかと…

私はこうもりを追い出し姉2人に言った
「馬鹿じゃない?」

虫(ゴキブリなど)
入ってきたらどうするつもりだったのだろう。
ゴキブリがきたらこうもりだけではすまされない。

私は父方のきょうだいについて何も知らない。
まず、姉2人の名前も知らない。
そしてその子供。
つまり私にとって「いとこ」
どんな人がいて何人いて、
なんて名前…年齢。全て知らない。

姉2人は最期の最期まで
涙ひとつ見せず帰っていった。

因みに母方の兄弟は…
伯父、伯母だけ数時間いた。
泊まりもしなかった。

叔父は姿すら見せなかった。
伯父より近い所に住んでいたが
来なかった。

他、母方のきょうだいは遠い所に住んでいる。
どんなに車をとばしても6~7時間はかかる。
来ないだろうと思っていたが本当に来なかった。

当たり前だろう。
数年前母を殺そうとしたその人の母のお葬式だ。

又、父は母の父(私の祖父)母の母(私の祖母)
そして母のいとこのお葬式、お通夜ともに顔を出した事はない。

しかし職場関連の人が亡くなると
セッセと出て行った。
ポイントを稼ぐ必要があった。

おばあさんは私の自宅近くに
知り合いはひとりもいなかった。
ホームに住んでいたから仕方が無かった。

お通夜、お葬式通して訪ねて来たのは
父の元会社のお偉いさん数人と
おばあさんが入所していた老人ホームの職員数名だけだ。

寂しいお葬式だ。
訪ねてくる人の人数だけではない。

自分の娘2人も涙はひとつ見せず
笑顔で見送った。

ああいなくなった。
ホットした。
なんとなくそう見えた。

因みにその前の母方の祖父のお葬式の話しを聞かされていた。
会場には入れない程の人に埋め尽くされていたと…

その会場とやらを実際に見た。
決して多きい会場ではない。
しかし、ここに人は集まった。
それだけ地域に根付いた人だった。
そう思った。

母の実家から祖父のお墓に2人で向かった。
途中、母の同級生とやらに出会った。
「〇〇ちゃん(母)娘さんと一緒?帰ってきたのね」
みんな笑顔だった。

母はここには余り長くは住んではいなかったが
周囲に溶け込んで生活していた。
それが見えた。

別の日にはおばあちゃんの家の前で
バーベキューをした。
近所の人から「〇〇ちゃん?(母)」と
何度声をかけられた事か…

人の人生とはわからないものである。

私はもしかしてこのおばあさんと
同じではないのではないか?

最期はひとり。
誰からも涙されず去っていく…

負の遺産は続いていく。

よく言われているのが
虐待の連鎖というものだ。
虐待されて育った人はまた虐待すると…

姉もその一人だ。
結婚数年経っても子供が出来ないのに対して聞いた。
他人であれば遠慮もあるかもしれないが、
そこは姉妹。
真実を聞こうではないかと。

そしたら姉からは「子供を産むのが恐い」と…
しかし女性なら皆思うだろう。
子供を産むのは恐い。

鼻からスイカを出すとまで聞かせれている。
恐くて当たり前だ。

しかし真実は違った。
子供が出来た時、また暴力を振るうかも?と…

負の遺産。正しくこのことだ。

私にはこの負の遺産を
引き継がせない為に結婚もなく
子供も産む事もなく
40歳を迎えたのかもしれない。

私の最期もきっとおばあさんと同じだろう。
最期を見送る為ではなく
会いたい訳でもなく…

ただかたちだけ参加。
か…誰も来ないか

泣いていたのは父、母、姉だけ3人。
実の娘2人は嫌々来た。
それとも再会する為だけに来たのか…

実の娘にすら涙されない。
悲しい現実だろう。

…寂しい最期。







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by rin-dream | 2016-12-27 19:20 | 23歳~ | Comments(0)

ブラック企業。

その後熱は下がったが咳は止まらなかった。
病院行くのに、休むのはおろか、遅刻、早退すら
許されていなかったからだ。

電話越しに「大丈夫ですか?」と言ってくれた
お客さんの言葉が身に沁みた。

その後吐くんじゃないか?
ってくらい咳が止まらなくなったが、
仕事休める訳でもなく…
3ヶ月程して漸く楽になってきた。

私は自分のフロアの電話全て取っていた。
もう息つく暇は無かった。
2~3分おきに鳴り響く電話。
その他にも来客応対、頼まれた仕事、そして雑用。

電話は本当に酷かった。
最初は電話から逃げる為トイレに駆け込んでいた。

しかし…面接してくれた人だったのか?
お局様だったからなのか?忘れたが…
「次からは電話の子機持ってトイレに行け」と。
そんなの出るものも出ない。

別フロアの人からはトイレで電話?とびっくりされ
またある人からは社内で〇〇(私)はいつも走っていて
歩いている姿見た事無い。とまで言われた。

結局電話から逃れる為、
土曜日出勤をして土曜日に溜まった仕事をしていた。
土曜日は殆ど電話が鳴らないからだ。

毎日出社すると自分のデスクに
山積みになっている書類の片付けから始まった。

その書類の内容は、人から頼まれた仕事もあった
FAXそして誰かがパソコンから出した
印刷物まで含まれていた。

私はこの時のせいで今でも喉は弱くて
風邪ひくと直ぐ喉やられて、
咳が止まらなくなる。

今でいうブラック企業。
私の心身は気づかないうちに疲れていった。




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by rin-dream | 2016-12-27 19:17 | 23歳~ | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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