猛毒親に育てられて。

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薬中毒。

私は今から10年以上前薬中毒になった話しはした。
病院を変えたが先生からは
【治る薬】ではなく
体操やツボ押しなど
薬以外の、本来人間が持っている
身体を治そうとする力を取り戻す方法を教わった。

しかし当時の私にはそれが響かなかった。
【治る薬】が欲しかった。
そして半年待ってようやく入れた病院を2ヵ月程でやめた。

私はふと最悪病院の事を思い出した。
私の前に診察を受けた女性だった。
彼女の年齢は多分私と余り変わらないか
もしくは年下だろう。
いつもスッピンだった。
そして母親らしき人といつも一緒に来ていた。

彼女は普通の時もあれば急に怒りだし、
そして泣きだした。

そんな彼女の豹変ぶりにも驚いたが
何より驚いたのは彼女の薬の量だった。

普通スーパーで買い物をしてもらえるビニール袋
その大きさの袋が薬でパンパンになり、
それでもまだ入りきらず
もうひとつ袋を用意してもらう程だった。

しかもこの薬は約2週間分だ。
いったいどんな薬がどれだけ処方されていたのだろうか?

私は薬中毒から抜け出そうとしている。
しかし…きっと彼女もまた彼女の母親も
【薬を飲まないといけない】
そう思っているのだろう。
抜け出そうと気づいた今だから私はそう思う。

薬を飲んだ所で治るものではない。
これは【うつ】と誤診された私が
(本当は適応障害の為薬は対処療法でしかない)
本当に【うつ】や
その他の精神の病になった方に
言う言葉ではないかもしれないが

薬はあくまでも症状を緩和する為のものであって
治るものではない。

彼女も何かで病気になったのだろうが
もしこの病院以外に行けば
もしかしたら少しは症状が緩和する
そんな気がした。



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by rin-dream | 2016-12-29 03:10 | Comments(0)

インチキ精神科の実態と裏切り。

この後病院から転院する為に
届いていた診断書を読んだが理解出来なかった。

ー診断名ー
《情緒不安定性人格障害》

情緒不安定性人格障害とは…

人格に安定を欠いている為に
対人関係をうまくコントロール出来ない
という状態に悩まされる。

簡単に説明すると

同じ相手なのにある時までは
普通に親しみを持って接していたのに
突然それが豹変していきなり攻撃的な態度を取ったり
またさらに豹変して
今度は温かい態度で接するようになったり
不安定さがつきまとってしまう。

とネットに書いてあった。

頭の中は謎だらけ。
そんな経験は一度もない。

子供の頃の私の性格は
喧嘩をしても翌朝には忘れていた。

これが情緒不安定性人格障害?

イライラしていても
寝たら忘れる。
こんな人はごまんといるのでは?

《〇〇病院(精神科)にて短期入院等を繰り返した》
私はこの病院の名前を知らなかった。

私はその病院のHPを見てみた。
写真が数枚載っていたが見た事は無い。

私は〇〇病院(総合病院)には
短期入院を繰り返した経験はある。

私はその精神科の病院に短期入院をしたとされる頃の
ブログ、スケジュール帳を読み返した。

何時からバイトの文字もある。
今日は寒い、暑い。詳しい程書いているが…

〇〇病院(精神科)の名はなかった。
〇〇病院入院(総合病院)はあった。

入院中は点滴をずっとされていた。
その時点滴を付けている
手の《カーゼ》を妙な程覚えている。が…
それは総合病院。

実際に今年4月もその病院に行った。
その際点滴した腕の写真を撮ったが
その《ガーゼ》と全く同じ。

偶然精神科と総合病院は同じガーゼを使っていたのか?
偶然にしては話が良すぎないか?

《昔両親から虐待を受けた》
の文字以降は両親が私から受けた
《被害》を刻銘に刻まれている。

逆を言えば私の《気持ち》は
この一文しか書かれていない。

《今から死ぬと脅しの電話があった》
→親はその時にどう対処した?
→対処方法は書かれていない

《両親から入院させたいとの申し出があった》
→何を基準に入院?
→スリッパ投げたら強制入院させたいと考えた理由はここだった。
(私には理解不能。不可解な親の行動)
→因みに仕事はしている。

《食事や薬の服用を拒否した》
→食事を拒否したのではなく
→お腹はすいたが食べる気がおきなかった。
→この場合「拒否」ではなく「食欲が落ちた」

《薬の服用を拒否した》
→私は薬を飲まないと眠れない。
→日常生活も送れなくなる。
→嫌々服用している
(薬を飲まないと眠れない生活を15年送ったら嫌々の意味がわかる)
→過去2度拒否したが、薬が無くなり仕方がなく病院に行った
→薬を親の前で服用して「今飲んだよ」と確認させた事はない
→それをどう拒否したと説明出来る?

《私が母親に暴力を振るった》
《親が「警察呼ぶよ」と言ったらピタッと止まった》
→私はその後近くの警察署に直接電話をしている。
(110番ではない)
→「警察」という言葉で動じるなら、警察署に直接電話しない。

《〇月〇日父親に8針縫う暴力を振るった》
→父は既に78歳。
→元々皮膚が弱い。
→少しひっかいただけで血が出る。
→少しぶつけただけで痣が出来る。
→この次の日の話し

《〇〇年〇月頃から抑うつ気分、不眠が生じた》
→中途覚醒するようになり病院に行った
→抑うつ気分はこの時生じてない

《通院一時中断するもその後再開》
→この一時中断とは?
→中断したくても出来ない現実がある(先にも話した)
→通院を中断する事は不可能(先にも話した)

《疲れやすく、一般就労は自信がない》
→自信がないとは一度も言った事は無い
→アルバイト経験しかない
→10年以上事務職から離れている。
→仕事(事務職)を見つけるには難しい
…とは語っている。が…

《趣味・娯楽への関心、文化的社会的活動への参加》
《援助があればできる》
→ここまでインチキ書かれたら笑うしか出来ない。
→誰の助けもなくヲタ活を楽しんでいる
→金銭的余裕があれば遠征もしている。

そして一番ショッキングな言葉が書いてあった。
《軽度の知的障害がある》
…言葉を失った。

勉強は得意ではなかった。
むしろ苦手だった。
好きな科目や専門学校ではがむしゃらに勉強した。

しかし…英語、数学、国語(特に漢字)は大の苦手だった。
漢字は読む事は出来るが書く事が苦手な
典型的漢字苦手日本人パターン。

英語、数学はともかく、
漢字が苦手になると生きてはいけるが
社会人として恥ずかしい。
今思うとしっかり勉強していればと思う。

では偏差値が低い高校、短大、大学卒業者、
またはほとんど入試があってないような専門学校卒業者、
全員が軽度知的障害者なのだろうか?

破り捨てたくなるような
親にとって都合がいいように書いてある診断書。

私は親だけでなく
先日までかかっていた医師にまで裏切られた。

①睡眠薬を処方している
(発病後既に15年は経つだろうが未だ治らない)
②お腹の張りがある。
(薬も処方している)
③「家を出たい」毎回その話しをしている。

これについては一切触れていない。
これは私の診断書のはず?

何故か?親が受けた《被害》は刻銘に書いているが
私の病気の症状は書いていない
書いている内容は全くのデタラメ。

正直この精神科の病院名を発表したい。
この病院には行くな
この病院に行くと病は治るどころか悪化する。

早くブログを完成させたい。
このままでは本当に両親の思い通りに事は進んでしまう。
(病院まで手玉に取った)

私はパソコンのキーボードを叩き始めた。




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by rin-dream | 2016-12-29 03:05 | キチガイ | Comments(0)

史上最低のクリスマス。

私の家は普通ではない。

その現実を受け入れるには
余りにも時間がかかり過ぎた。

いや、既に受け入れていた。
しかしここまでキチガイとは思っていなかった。

私は29歳の夜自宅にいて
親の行動により身の危険を感じて110番通報をした。
そんな経験普通では出来ないだろう。

その後自分の思うようにならない娘に腹を立て、
私を家庭内暴力する娘に仕立て上げ110番通報された。

私は自宅の自室で制服を着た警察官と話しをする。
これまた、そんな経験普通はするだろうか?

普通に生活していなければ
おそらく1度も経験しない事を何度も経験した。

想像してほしい。
もし自分が私と同じ立場だったら…

クリスマスを数日後に控えていた。
街はクリスマスムードいっぱい。
街はイルミネーションでキラキラしていた。

しかし私の心はそのキラキラとは真逆。
死に方を考え、死に場所を探していた。
心の中はブラックだった。

ただブログだけは書き上げたかった。

毎日キレたくなるような事が家ではおきていた。
しかしまた警官が来て、
無理矢理精神科に強制入院されては元も子もない。

親は鼻で笑っていただろう。

警察官を呼んだ。
娘はギャフンと言った。
オレは勝った。



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by rin-dream | 2016-12-29 03:00 | キチガイ | Comments(0)

完全崩壊まであと1秒。

私に家にいる意味さえ無くなっていた。
というより生きている意味さえわからなかった。

両親に裏切られ、
警察沙汰になり
私は虐待されている子供ではなく…
家庭内暴力を振るう娘になった。

そして本来なら
信頼していいだろう医師にまで裏切られた。

私はGW頃を境に食欲が一気に減った。
その後回復はしたものの
「食べ物の欲」がなくなった。

母は昔から何かにつけて
「今日は手抜き」と言っていた。

一番傑作だったのは、
①ご飯
②白いかまぼこ
③冷奴。

その日食べる気がおきなかったのはいうまでもない。
食べる物全て「白」

今現在食事は…
①全く同じ丼
②鍋orカレーorシチュー
③スーパーで売っているお惣菜プラスおひたし程度。
これを1週間日替わり。

母は食事を作る事を半ば嫌々状態。
1日中家にいるのにも関わらず。

家賃ゼロ
電気水道ガス代ゼロ
食べたい物を食べてはいないがご飯代もゼロ
(因みに朝ごはんは自分で用意している)

ただそれだけの為に嫌々親と暮らしている。

家を出たいのは山々だった。
しかしもう就活するには体力が残っていなかった。

いわゆる【障害者枠】で限定すれば
仕事は見つかるかもしれない。

しかし現実は甘くない
与えられるのは「何かの補助」

その人には何も任せてはもらえない。
これは面接の際実際ある会社の担当者に言われた。

では一般では?
私はアルバイト経験しかない。
そして事務からは10年ブランクがある。
こんな人誰が雇う?

私が採用側だったら書類見た地点でスルーだ。
考えると力は出なかった。

しかし就活には本当に体力は必要だ。
しかし心は壊れた。

今スマホはほとんど電源を入れていない
充電する時だけ。

友達とメールやLINEする力もない。
私に出す力は全て出し尽くした。

10代の頃一度廃人になった。
そう。毎日米粒を選別していたあの頃…
ただ空を見上げていたあの日々…

一応仕事はしていて社会とは関わりを持っているが
その【仕事をしている】
それだけで生きていた。

もしそれが無かったら…
私は完全崩壊していただろう。

私はその後美容院に行った。
そして先日小旅行を楽しんだ友達とも遊んだ。

しかし心はどこにいたのか?
私の身体しか存在していなかった。

あの日どんな顔をして友達と遊んだのか?記憶がない





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by rin-dream | 2016-12-29 02:55 | 両親 | Comments(0)

両親が引いたレール。

親がひいたレールにまんまと乗せられている自分が
悲しくて泣いた。

私はその後自殺を考えた。

この人たちは私を一生不幸にする。
ここにいても私に幸せは一生訪れない。
しかし、親のレールに乗ったままで死ぬのは嫌だった。

自殺防止コールセンターに片端からかけた。
死にたい気持ちとこのまま死にたくない気持ち両方あった。

しかし全て通話中だった。
そして私はブログ開設に踏み切る事にした。
ブログという所で全てを残すつもりにした。

全てを残す事で
親は《悲劇のヒロイン》ではなく

《娘は親から愛してもらえなかった悲しい子供》
それが誰かに届くかもしれないと思ったから。

私はブログというかたちで小さな反撃に出ることにした。
これを読んだ誰かが自分に気が付いて

《これ私のこと?》
そう思われた時

このブログに書いている事全てが
現実にあった事と証明できる。
そう思った。

だから《キチガイ家族》以外の話しもした。

《全てを残す》
もうひとつの理由は

自殺、もしくは強制入院。
私の意思に反しているが
このままでは私は本当に強制入院させられると思った。

この人たちならやりかねない。
そうなった時の《保険》と思った

私の意思に反している強制入院が
どれほど馬鹿げた事なのか

それを強制入院させた部外者にも
わからせる必要があった。

普通に生きていれば起きない事が
40歳にして何度もおきた。

これからどんな苦難が私を待っているのだろう?




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by rin-dream | 2016-12-29 02:52 | Comments(0)

悔しい。

姉が最後に来たのは今年3月。
姉はこの家嫌いだから来ない。

その話しを持ち出せば
「小さい子供抱えて働いてるから」と言われた。

小さい子供というが
2人とももう小学生。
そして朝から晩まで働き詰めではない。

姉には旦那もいて、もちろん働いている。
(自営ではない)

下の子は今年1年生になった。
ランドセル姿くらいじじばばに見せてもおかしくない。
(ランドセルは両親が買ったものではない)
(貧乏な為高価なランドセルは買えない)

しかし3月から姿を見せていない。
もしも私が北海道に住んでいて
姉が沖縄に住んでいるのなら理解できるが…

一般道を車で走って1時間程。
公共交通機関を使っても1時間程で着く。
そんな近距離に住んでいるのにも関わらず姉は姿を見せない。

あの日、自分の母親が亡くなった日
涙ひとつ見せなかった、父の姉2人。
2人は笑顔で再会を喜んでいた。

今後両親が亡くなった時姉はどう出るのだろう?

8月に私が暴れた日に父に言った。
「姉はこの家が大嫌いだ」…と。
しかし父は「お前がいない時よく来ている」
そう言った。

もちろんこれは全て
また…

私は自分の気付かない所で
親のいうことをきかない子供から

家庭内暴力をふるうアル中、うつ病の娘なっていた。
虐待していた親が今度は自分の都合のいい形で

家庭内暴力をふるうアル中、うつ病の娘
にしたてあげた。

そして言った
「証拠として写真を沢山撮ってもらった」

私は言葉を失った。
ベッドに顔を埋め泣き出した。

別に証拠写真というものを
撮られたこれに対して泣いた訳ではない



悔しかった。
悔しくて、悔しくて…



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by rin-dream | 2016-12-29 02:51 | Comments(0)

自分にとって都合のいい娘。

半分《あの日》のように
助けを求める為Aちゃんに電話した。

《あの日》とは母がドア越しに
近所のおばさん(他人)と2人で

私がどれだけ馬鹿げた考えをしているか
説得させられた17歳の秋の夜。

私はこの夜なるだけ笑っていたかった。
笑わなかったら私は《あの日》のように壊れると思った。

実況中継をした。
「今2人家出た」
「車乗った」
「もう1人も出ていった」

そして電話を切った後
最後の1缶を飲みきってトイレに行った。

そして、私は反撃に出た。
今なら思う。
私は馬鹿な事をしたと。

私はこの後親と思っていた人から
思いもよらない言葉を浴びせられた。

『お前はアル中だ』
『足で顔を蹴った事はない』
『お前は妄想癖がある』

『お前は妹(毋の)の形見を壊した一生許さない』
(何を壊したかは知らない)
母は妹と実の娘を天秤にかけた時妹をとった。

この時母は鋭い目で私を睨みつけていた
昨晩のやさしさは一粒の欠片もなかった

親は完全悲劇のヒロインになっていた。

そして何故か?外出着に着替えている父親。
110番通報する程危機が迫っていたら
服を着替える暇はない。

『アル中』
私は3日間休肝日を作っていた。

そして、普通に会社に行って仕事をしている。
アル中の人にはまず出来ない。

酔ってその日の気分を紛らわしてした。
ただお酒を飲む。これが
『アル中』という親にとって恰好の餌食となった。

『足で顔を蹴った事はない』
『妄想癖がある』
身体から力が抜けた。

そうか。本気で昔自分が行っていた行為をチャラ。
ではなく、元々無かった事になっていた。

『妄想癖』しかし妄想ではない。
現実にあった。

しかしそれを『証拠』とするものは何ひとつ残っていない。
現実からしてみれば当たり前

家の中に防犯カメラなんてつける人はいるだろうか?
もし防犯カメラが我が家に存在していたら…
私はどうなっていたのだろう?

父に殴られた日々
それを止めにも入らず傍観者になり
「もっとやって」と言った母。

母に首を絞められた日…

全て親によって
『妄想』という言葉で片付けられた。
私の40年間は一体何だったのだろう?





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by rin-dream | 2016-12-29 02:50 | | Comments(0)

そして賽は投げられた。

私は金曜日の夜飲んでいた。

明日は休みだ。

好きなだけ飲もう。
缶酎ハイ4本買って、
その時3本あけた所だった。
私はトイレに行った。

階段上ろうとした時
両親のスリッパが目に入った。

またイライラしてきた。

私はおもわずスリッパを
思いっきり玄関に向かってぶん投げた。

その後なんとなく母の部屋でざわついていた。
誰かと父が話しをしている。
相手は母ではない。
テレビ?いや違う…もしかして?

昨日壁にかなり大きな穴をあけた話しはしたが…

①壁には大きな穴
②タンスにも大きな穴
③ふすまも数年前から破けている
(ひとつはスケジュール帳をぶん投げて出来た)
④障子にいたっては和紙すら貼っていない
⑤昨日の事で父は怪我をした
(もみ合いになった時に父の手をひっかいたらしい)
(元々爪が弱い私は爪が短い)
⑥そして今飲酒中
⑦私は精神科に通院中
⑧もう破り捨てたが形的にはまだ
障害者手帳を持っている。

全て父親の思惑通りに事を進めるには
十分過ぎる程の材料が出揃った。

そして賽は投げられた。

嫌な予感はしていたが
それを紛らわす為オルゴールを聴いていた。
(NEWSの愛言葉)

今となってはこのオルゴールも
昔聴いていた光GENJIの
《2000年の翼たちへ》と同じになった。

てずてってとって
空しい愛言葉。

私と両親の間に手を取り合う。
そんな日は二度と来ないそう悟った夜。

ピンポーン。チャイムが鳴った。




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by rin-dream | 2016-12-29 02:46 | Comments(0)

イカレタうちの両親。

《やっぱり》
私のもしかして?は当たった。

程なくして階段を上る音。
そして知らない男性の声
「◯◯さんですよね?」
私は「はい」とこたえた。

制服を着た男性警察官2人入ってきた。
私は縦長の部屋で前後挟まれる形で座った。
自宅にて職質だ。

「110番通報があってきた」
ひとりはかなり若い警官だった。

「何があったの?」
こっちが逆に聞きたい気分
「両親のスリッパを玄関に向かって投げた」
私はそう答えた。

「今お酒を飲んでいるか?」
「薬は飲んでいるか?」

私は聞かれるままに応えた。
「お酒は3杯目(350ml缶)」
「薬は飲んでいない」

そもそも私はもう安定剤とやらは飲んでいない。
睡眠薬しか持っていない。

普通に考えて睡眠薬を飲んでから
お酒を楽しむ人はいないだろう。

睡眠薬とは寝る為に飲むもの
寝てしまってはお酒を楽しむ理由はない。

そもそもスリッパ投げて110番通報は笑いごと
「指を切った。だから救急車呼ぼう」
の世界じゃないか?

しかし警官にある薬が目に飛び込んできた。
警察官は身を乗り出す。
しかしそれはお腹の張りを治す薬だった。

私はわざとへらへら笑いながら応えていた。
怒りで頭がおかしくなりそうだった。

親にとって見られたくない状態だった為
家の中には入ってほしくなかった
《あの日玄関から中に入ってこなかった警官》

そして今回全て親の言い訳出来る全ての条件をクリアした為
《私の部屋まで入ってきた警官》

この違いはなんだろう?
そう全て父の嘘によって…

よくテレビで見ていた。
ストーカー殺人、犯罪後、遺族、本人の口から
「警察は何もしてくれなかった」

まさに私も同じ事を経験している。
あの日何もしてくれなかった。

しかしジャニヲタしている
未婚40代お風呂あがりのスッピンで
髪はお風呂から出てまだタオルを巻いた状態。
そんな姿見られた。
怒りと同時に恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

しかしその若い警官の
「誰かを傷つける道具は持ってないか?」
の質問には泣けた。
そして悲しい気持ちでいっぱいになった。

この誰かとは両親を意味している。
私は暴力を受けてきた。
今度は親に暴力をしないか?と聞かれている。

何も出来なかった子供時代。
誰も助けてくれなかった子供時代。

過去に戻って同じような状況になって親をつきだし
「この人に暴力を振るわれた」といい
親を牢獄に入れ
私は児相にでも行きたかった。

そして誰かを傷つける事が出来る道具
私の部屋には100円ショップで買った
子供用の小さなハサミ。
これが唯一の《刃物》

これで人殺せるか?
確かに傷はつけられるかもしれない。
でもその傷はいつか治り
痛みもなくなるだろう?

では私の傷はどうやったら治るのか?治せるのか?

最後に追い打ちをかけるようにもうひとり男性が入ってきた。
名前を名乗ったが覚えていない。

あとになって保健所の人と知った。
「◯◯病院か◯◯病院に強制入院させるつもりだ」
…ため息以外何も出なかった。

何?私はスリッパを玄関に投げただけで
イカレタ奴になったのか?

暴力を振るい続けてきた父
私の首を絞め殺そうとした母は
まっとうな人間なのか?

その後3人は部屋から出て行った。

私はもう死にたい。
それしか思いはなかった。

私は親に躍らされて生きてきて…
《最期》まで…。
そう思った。

私が警察を本気で呼びたいと思った
①父が母を殺しかけた夜
②29歳夢を追いたくなった夜

あの日父の思惑道理に警察は来なかった。
しかし…父の思惑道理になった時

警察呼ばれて、私はイカレタ奴になってしまった。
本当にイカレタ奴とは誰の事?

この父と母この2人以外誰がいる?



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by rin-dream | 2016-12-29 02:45 | | Comments(0)

ゴメンで済んだら警察いらない事件。

とある日曜日。
友達数人と小旅行に出掛け、
最後にとあるお店で飲んだ。

飲み会は2時間程で終了した。
遠方からひとり参加している人がいていたから。

しかし少し飲み足りなかった。
友達と別れたのは22時頃

もう少し飲みたい。
別れた駅で500mlの酎ハイ1本買って帰った。

しかしもう40歳若くはない。
ちょっと飲み過ぎた身体を休めよう。

そして木曜日。
前回の話し。

私の中では昨日で全て終わった訳はなかった。
当たり前である。
40年分の恨みがある。

でも両親の中では全てチャラになった。
そんな軽い感覚でいたのだろう。

やたら声がいつもより優しかった。

いや優しかったのは
《親のいう事を聞くいい子》に私は戻ったから

しかし40年間積り積もって
我慢の限界を超え昨日があった。

まだまだ私の中のイライラは残っていた。
《ゴメンで済んだら警察いらない》

しかしこの後本当に
《ゴメンで済んだら警察いらない》
事件がおきた。




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by rin-dream | 2016-12-29 02:42 | | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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