猛毒親に育てられて。

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自殺願望者から生きる道へ。

私が初めて自殺をしようとしたのは28歳の頃
これを読んで下さっている方は
もしかしたら「遅い」と思われているかもしれません。
又、そんな事したの?
と逆に驚かれているかもしれません。

私もこんな生活していたら疲れます。
自宅は最悪、学校生活は最悪、仕事関係は最悪、
友人関係も最悪。

いい事ないですもの。
唯一いい事と言えば
Aちゃんとの出会いとレオとの出会いでしょうか?

特別彼女から金銭的な援助をしてもらった事はありません。
物質的援助もありません。

あったのは…心の援助です。
これまで沢山の心をもらってきました。

私は逃げる事が出来たら、
幸せになる事で恩返しをしたいと思っています。

レオからもたくさんの愛をもらいました。
小さな身体でいっぱい愛してくれました。

このAちゃんとレオには感謝しかありません。

さて、両極端の話しですが
冒頭の自殺です。

私はある日、何を思ったのか?
家にある全ての薬を飲みました。

しかし今もピンピン生きています。

服毒自殺をはかった訳ですが
今、何の後遺症もない事で助けてくださった
病院の方、救急隊の方に感謝したいと思います。

後遺症が残ったって人もいると聞いています。
私はやめた方がいいと思っています。

今はやめた方がいいとはっきり言えますが、
私はその後数回服毒自殺をはかり
全て未遂に終わっています。

未遂に終わった事はきっと
「今を生きなさい」「今を謳歌しなさい」
と神様から言われているような気がします。

私は服毒自殺だけではありません。
首吊りをしようとした事もあります。

しかし異常な程涙がこぼれて、
自殺する気が無くなりました。
これも神様から助けて頂いたと思っています。

あともうひとつあります。
それはリストカットです。

たまにリストカットで自殺ってドラマなどで見ますが
無理ですよ。痛いですから。

痛いを越えないと自殺できません。

最終的に動脈を切り自殺って聞いた事があります。
しかし大体がためらい傷が数か所あるそうです。

私もリストカットがやめられませんでした。
手首には今も無数に傷があります。

しかしそこはやはり痛いので。
全て、病院送りにならない程度。
自宅で絆創膏貼って終わり。程度です。

しかし手首の傷は今も消えません。
私は夏も冬もいつも
アクセサリーをじゃらじゃら付けて
わからないように隠しています。

夏、暑いのに腕まくりもしないでいるって変ですもの
女性であれば室外では肌は見せないでしょうが室内での話し

変に隠したら、隠したで
周囲は気になりますし。

私ははじめカッターナイフでリストカットしていました。
その後やめました。
仕事先で不信に思われたんです。
両手首の包帯どうしたの?って。

別のものに変えました。
そのものは何とは具体的には言いませんが。
先の尖ったものです。

それをグサグサ刺してました。
聞いただけで痛いですね。はい。

たまに動脈切ると
凄い程の出血を伴います。

辺りは血で真っ赤に染まりました。
その後何回もしています。

カッターナイフより意外に痛くなく傷も小さい。
私はおすすめはしませんけどね。

やっていた理由と聞かれると。
多分親に心配して欲しかった。
のかもしれません。

あくまでも多分です。
やっていた理由は当時の日記にも残ってません。

普通の人がヤケになってビール1杯飲むのと感覚は同じです。
しかしある日突然やめました。
理由はあえて言いません。

やめてからもう5年は経つと思います。
しかしまたやろうとは思いません。

今も手首の傷を見ると悲しくなります。
手首の傷イコールあの時の自分の心の傷。

一生消えません。
でもこれがあるから2度とリストカットしません。
そう言い切ります。

他自殺。何度も頭をよぎりました。
駅で何時間も過ごした事があります。

でも全て最後は《恐い》なんです。
普通に持っている普通の心で自制しているんです。

普通に育ててもらえなかった。
私はここで何度も何度もその悔しい思いを書いています。
でも普通に心は育っていたんです。

普通に育っていたから《毒》に気づけた。
気づいて《毒》から逃げようと思えたんです。
気づくのに41年は長すぎですが。

頼って、跳ね返され、罵倒され、それを受け入れ、暴力、嘘。
頼ることは無理です。
頼っても相手は見返りを求めます。
もしくは《〜してあげた》です。

受け入れるのももう不可能です。
不可能だから病院でも
《自宅に適応出来ない適応障害》と診断されました。

私はこれから3歩目を踏み出します。
1歩目は毒に気づくこと
2歩目は先々週の上京
そして今。

41年かけようやく《毒》に気づいた私にとっては
大きな大きな3歩目です。

これから大きく4歩、5歩と歩む事が出来るか?どうかは
まだわかりません。

また1歩後退するかもしれません。
でも私は自分の人生後悔なく生きて生きたいです。

Aちゃんって大きな存在を再再再(×たくさん)確認し
生きる事から逃げないと思いました。

夕方メールが届きました。
私のひと言に涙が出たと。
私の決意の固さを確認出来たと。

Aちゃんは私の思いを受け止め
生きる道の道しるべをしてくれました。

今度は私がその思いを力に生きていきます。
厳しい道のりになるのは十分わかってます。

でも私は私を押し殺してまで生きたくないです。
私らしさを持ちたい。

もし、自殺したらあの世ではレオから無視されますね。
オレはもっと生きたかった。
ママと一緒に遊びたかった。
ママになでなでして欲しかった。って。

また私がおばあちゃんになってあの世に行ったら
一緒にいっぱい遊ぼう。
いっぱいなでなでするから
ママとチューしよう

さて3歩目出発!









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by rin-dream | 2017-02-26 21:25 | Comments(0)

人の人生。

私は毒親という言葉を知り
調べるにつれて色々な人たちの毒親を
ネット上で見ることが出来た。

そこでひとつの疑問が生まれた。
ひとり暮らしを始めた又は逃げる事に成功。とあるが、

その後も親との接触をしている人が
少なからずいる事に驚いた。

何故その人たちは逃げる事に成功したのに関わらず
未だ接触を続け
そして毒親の事を話しているのだろう?

成功話し。また過去の話しとして
毒親話しをネット上で書き込みをしているなら
まだ理解できる。
しかし。そうではない。

私の姉と同じタイプなのか?
または本当の意味で逃げる事に成功はしていないのか?

私はこれから逃げる身
今の私には理解出来ない。

私は絶対に接触を避ける為に
毒親から離れた関東に逃げる事を計画している。

今と同じ暮らしがあと1ヶ月続く事すら考えられない
極限の状態まで来ている。
身体はボロボロ、心もボロボロ
いつ倒れてもおかしくない。

人が私のブログを読んで
もっと早く逃げればよかったのにと
思っている事と同じなのだろうか?

私は30歳の時東京に逃げる事が出来た。
しかし、その時私は学生。
就職も決まらず強制送還された。

もしも仕事が決まっていれば
今も東京の地で幸せに暮らしていたのかもしれない。

これはあくまでも想像の世界だが。

今回は夜逃げ同然。
完全解放を願っている。

明日再び私は東京を訪れる。
これを部屋探し最後にしたいと思っている。

審査が通り、
鍵さえ貰えれば関東から離れたこの土地でも
就職活動は出来る。

布団、カーテンだけ買ってホテルとしても使える。
1泊しても食費だけで済む。

ガス、電気、水道代は手続きすれば
使わなくても基本料金が発生する為
極力使いたくない

電気は懐中電灯を持っているのでそれで充分
トイレはコンビニもしくは
24時間営業のファストフード店を使う

まずは部屋探し。
ここから逃げていたら明日はやって来ない。
幸せに桜を見る事が一生出来ない。

それくらい今回の脱出劇は本気でやっている。









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by rin-dream | 2017-02-26 15:56 | Comments(2)

カウントダウンが始まった。

ヲタ活もやめた私は
ひたすら時間との闘いに入った。

身体の状態は話した事の他にも
無意識に左目がピクピク動くようになった。
調べると《顔面麻痺》とある。

まだ、麻痺はしていない。
ピクピク動いているだけ。

精神状態は崩壊寸前でギリギリ持ちこたえている。
ここで話しをした他にも

①自分の名前が嫌い
これが異常なまでも感じるようになった。
私は職場では名札をつけないといけない。
しかし名札を見る為に気持ち悪くなっていた。

②方言が嫌い
私はここの方言は好きだった。
東京に住んでいた頃は意識して方言を使っていた
←しかし気が付くと2年後には方言はほぼ使わなくなった。

これはその土地の人に聞くと
千葉弁らしいが…
物を片付ける時に「~かたして」という。
私も「かたして」を使うようになった。

私は関東の人が使うイントネーションが
好きにはなれなかった。
むしろ嫌いだった。
それが1週間前に東京に行った時は全く気にならなかった。

自分が崩れる手前まで来ている
そんな事を感じるようになった。

私はいつものように賃貸物件の
ネットサイトを使って検索を始めた。

この時たまたま《駅を指定する》に
チェックを入れずENTERを押してしまった。

ヒットしたのはわずか111件。
同じ物件(部屋)も多数あった。
違う物件だけに絞ったら
80件以下には減っている。

物件を見るとほぼ都心に行くには
1時間はかかるものばかり。
都心に近い物件はたったの4~5件

この時期に物件は動くことは知っていた。
しかしここまで減るとは予想もしていなかった。

通勤1時間かかるのであればせめて
トイレお風呂別。
そんな夢も遠くなっていた。

私は昨晩、1時半を過ぎた頃だった
現実から目を背けたくなり
私は寝ようと薬に手を出した。

心身共に疲れていたのであろう
数回寝返りをすると…意識は消えていった。

6時半に目覚めた。
起きる気力が無く再び目を閉じた。

私は悪夢で目が覚めた。

精神科病院にいた。
逃げたくて逃げたくて必死に
『ここから出たい』と話しをするが
誰も掛け合ってくれない。

看護師、毒母、毒姉。
猛毒父の姿はない。

そして毒姉は毒姉ではなかった。
顔が別人。
その別人に『ねーちゃん』と言っている。

必死になり、大声を出す。
周囲の人たちは私の方を向いている。

ここでの会話は見事に忘れてしまった。
起きた時は覚えていた。
しかし今、忘れている。

夢の中まで逃げる事でいっぱいになっている
心身ともに疲れ果てるとはこの事をいうのかもしれない。

崩壊までのカウントダウンが始まった。
あと1ヶ月以内に全てを決め
4月から新生活を始める。

新生活が無理であれば私は崩壊する。
崩壊までのカウントダウン。











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by rin-dream | 2017-02-25 15:16 | Comments(0)

午後6時半から闘い。

私の晩御飯の時間は6時。

仕事は毎日5時ちょうどに終わる。
残業はした事がない。
一度、ほんの数分だけ残業をしようとした。

ほんの数分。5分も無い。
上司から注意を受けた。

私の職場にはサービス残業というものもないし、
定時に終わるのが基本だった。

職場が駅近って事と
自宅の最寄り駅からも電車で僅か5分程。
真っすぐ帰ったら5時40分には十分家に着いた。

私はこの頃真っすぐ家に帰る事は100%なかった。
明るいうちにゴキブリがうようよしている家に
帰る事は出来なかった。

陽が落ちて自宅に帰る。

道路からカーテン越しに
出窓から気持ち悪いように見える
電気あかりが不気味に見えた。

出窓には呆れる程何かが山積みになっている
(擦りガラスになっている為中は見えない)

ここはリビングの出窓。
私はオシャレで好きだったが
いつの頃からか?
猛毒父の書斎代わりになり
私は大嫌いになった。

山積みにされた何かの書類。
その他にも椅子にもビニール袋に何かが入れられ
いくつもぶら下がっている。

荷物置き場と化したリビング。

そして心配してください。
とでも言っているかのように

薬がどっさりとテーブルに置かれている。
心休まるリビングなどほど遠い。

ガレージには猛毒父の愛用車が止まっている。
猛毒父はこの車が好きだった。

いつも〇〇円で買えた安い車。
と自慢していた。

70歳を前にして前の車が壊れ
仕方がなく中古車を買った。

以前の車は私が中学3年生~高校1年生の頃買った。
軽く25年は超えていた。
しかし壊れてしぶしぶ処分した。

走行距離〇〇キロで〇〇円は安い。
この車は最高級車と誇らしげだった。
(国産の軽自動車)

私はこの車が大嫌いだった。
猛毒父の好きな物イコール私が嫌いなもので繋がっていた。

ある時大喧嘩して猛毒父が私に言った事がある
「お父さんだって新車が欲しかった」

70歳を前にして新車?
猛毒父が考えている事が恐くもなり滑稽に見えた。

70歳と言えば
そろそろ免許を返納しようか?という時期。

2回車を乗り潰した。
(わかっているもう1台は叔父に譲った)
(そして会社から中古車をもらった)
そんなケチが70歳を目前に新車なんて買う訳がない。

そう言えば私は小学生の頃
お正月は従姉の家で過ごしていた。
と以前も話しをした。

従姉の家に行くにはいつも車で行っていた。
しかし、私は前の前の車も大嫌いだった。

約3時間はかかる道のり、
途中で私は吐き気に襲われた。
小さな窓を開け口をパクパクしていた。

誰が見ても子供が苦しそうにしている。
そう見えるはず。

しかし寒がりの猛毒父は言った
「寒いから閉めろ」

必死で吐くことを押さえていた。
悲しい小学生と悲しいお正月。

この車は私が生まれる前か?後に
猛毒父の会社が処分するとの事で譲り受けた車。
この車も大嫌いだった。

エンジン音がうるさく、
少し離れた公園を通る頃まで「我が家の車」
とわかる程うるさかった。

それだけでない。
エンストをおこすのは毎度の事。

家から数百メートル離れた坂道まで車を押し
坂道を下る力でエンジンをかける。
見慣れた風景だった。

しかしこの時私はまだ小学生~中学生。
多感の時期に恥ずかしい以外のものはなかった。

これは自宅だけの話しではない。
どこかへ出かけ。
立体駐車場に車を止める
その後エンストを起こすと同じ事をする。

買い物客がいる中での恥ずかしさ。
わかって頂けるでしょうか?

エアコンが付いていない古い車。
夏が好きな私は夏は比較的楽に過ごせた(と思う)
しかし冬は最悪だった。

真冬の寒い日に車に乗る。
その10分後も30分後も1時間後も寒いまま。
何もかわらない。

買い物客で思い出した。
嫌で嫌で仕方がなかった話しをしよう。

これは実際にあった話しだ。
猛毒父は私の事を「にゃんこ」と呼んでいた。
小学生の頃はずっとそう言っていたと思う。

私はこれが大嫌いだった。
それが...スーパーに行った時大声で叫ばれた。
「にゃんこた~ん」
私は恥ずかしさの余り逃げた。

今は古びてしまったが当時はまだにぎわっていた
片田舎にあるスーパーの
本屋か?CDショップ?での出来事。

そんな事を思い出した。
思い出せば思い出す程嫌な記憶しかない。

私は我が家の車は3台経験したが
どれもいい思い出などない。

午後6時半にはパソコンを開き
ひとり黙々と逃げる準備をし始める毎日。

この間休憩は入浴時間の1時間だけ。

《ヲタ活》の言葉も忘れた。
Blu-rayには録りためた番組が
HDDの中で苦しそうに埋まっている。

削除は1週間に1度程したが、
観る時間はほぼ無い。

買ったCD、DVD、Blu-rayは
袋から出す事もなく部屋に転がっている。








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by rin-dream | 2017-02-25 12:00 | Comments(0)

青の時代。

帰り際職場の人が言った。
「最近明るくなったね」
「嬉しいね」

普通に生きている人は春の訪れを喜ぶ。
私は1週間前ようやく動き出したが

何も変わっていない、今に焦り始めていた。
焦りが先にたち、春の訪れを喜べない私がいた。

なんとなく知った。
私の職場はパートひとりひとり当たり前だが
賃金が違う。

平均賃金を知って驚いた。
(1人はフルタイムではない)
(また別の2人も約20日勤務ではない)

私を含めるとこの4人以外の平均的な賃金。
それは2日間フルで働くと…
1万3千円を軽く超えた。
つまり月給6千5百円以上。

私は何を頑張っていたのだろう?
肩の力がガクッと抜けた。

あと1ヶ月で私は本当の私を取り戻す
事が出来るのだろうか?

不安でいっぱいになった。
今のタイミングを逃すと
私は一生檻の中の小鳥。

ひとつぶの雨が枯れた花を濡らす

一粒の雨
家を出た(出たあとの話し)私の思い

枯れた花
私の心

花を濡らす
心を解放する



ようやくクレジットカードを返してもらえるようになった。
私がお金の支払いに来ないので
渋々返しにきた。

クレジットカードの引き落としをする
金融機関のキャッシュカード、通帳、
クレジットカードの明細書をようやく手にした。

通帳には猛毒父のメモが残っている。
気持ち悪くて捨てたい気持ちだが

今は通帳を作り直す以外にする事は沢山ある。
全て終わった時にゆっくりしたい。







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by rin-dream | 2017-02-24 19:00 | Comments(0)

振り返った4年半。

その後私の面接数日前に言われた言葉。
「人って山と谷を経験して成長していく」

「谷があるけど山がある」
「山があるけど谷がある」

私は言った

「私の人生谷しかない」

おばさんはキレタ。
「谷っていうのはね戦争を経験した人みたいな事をいうの」

私は国と国との殺し合いは経験ありません。
ではあなたは家庭内の戦争を経験した事はありますか?

今の私ならこういう。
きっとおばさんはこういう

「家庭内に戦争はない」

普通の環境で育った人だから言える言葉
しかし私は普通ではないからここにいる。

その後2人っきりでいる事もあったが
私は口をきかなかった。
最低な人。そう思った。

そして辞める日に手紙を渡した。
「あなたの言葉で傷つけられました」
「しかしこれがいつか笑い話になったらいいでしょう」

しかし彼女から連絡はなかった。
その後気づいたら、3人のグループLINEは
私1人になっていた。

もう1人は1時間以上休憩している子に
気づいていなかった職員。

多分気づいていただろうが
声をかける事はなかった。
どちらも最低職員だ。

私はこの施設ではいいように
使われていた。

一般の会社でも休憩は約1時間
たまに45分や50分の所をみかける事もあるが

この1時間は《1時間通して1時間》
しかし施設は違った。

30分休憩(食事)後仕事を30分し
再び30分休憩。

これが通る施設だから
普通の私でも入所出来た。
今思うとバカだと思う。

この休憩時間中呼ばれれば仕事をしないといけない。
(仕事をした分休憩はとれるが)

早い話し
10分休憩して呼ばれて10分仕事したら
その後10分休憩がもらえる。
しかしまた5分後呼ばれればまた仕事をする
最後にプラス15分として休憩がとれるって言った具合。

《1時間通して1時間》休憩できるのは
1週間通して1日だけ。

こんなのって休憩というのだろうか?
普通の私をいいように利用されたとしか
思っていない。

この時の時給は700円程度。
都道府県の最低賃金以下。
笑うに笑えない。

そして…本来は出勤は9時だった。
しかし猛毒父の車に乗り込むのは9時を過ぎていた。
「ん?」

この車の中で私はミスを犯した。
私とってはもう笑い話しになっている出来事。

それは高校1年生の時の数学のテストの点数。
はっきり言って目が飛び出すような悪い点数だった。

数年前まで数学の点数が良かったなんて
想像も出来ない。

これを言ってしまった。
その後これを猛毒父に利用されるとは
この時思いもしなかった。

これを理由に「知的障害がある」
と言われるようになった。

その点数取る人全員に知的障害があるというなら
かなりの人がこれから先障害者扱いされると思う。
(ここは笑い話し)

私は無駄な4年半を過ごしていたと思う。
ここにいていい事はなかった。
むしろこれからの人生の悪影響しかない。

私はこの施設の関係者のLINEは消し、
メールアドレスも削除した。

しかし東京にいた時
ここにまだいる子からメールが届いた。
「LINEしてね」
悪夢再来か?と生きた心地はしなかった。

普通LINE削除された地点で気づくだろう。
私はその子のメールアドレスを覚えていて
それで気づいた。

その後受けた今の職場の面接の時
上司からこう言われた。
「何か配慮する事はありますか?」

私は言った。
「障害者を馬鹿にしないでほしい」

上司は笑いながらこう言った
「大丈夫です。ここにはそういう人はいません」

実際には私が会社に入った半年後に
私の職場にきたおっさんは馬鹿にする人だった。

前からセクハラをする事で有名だったおっさん。
私も言われた「取説教えて」
私は普通に答えた「ないですが」

おっさんは「その取説ではなく…」
言いたい事はわかった。
西野カナさんのトリセツの事か

ある日言った
「いいな~障害者ってお金もらえるの?」
「僕も障害者になりたい」

私はこの話しを上司に報告。
その後、その場にいたのにも関わらず
反論しなかった正社員2人とおっさんは
上司から厳重注意を受けたらしい。

私は最後まで言った人の名前は言わなかった
上司は「〇〇歳男性ですね」
私は否定も肯定もしなかった。








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by rin-dream | 2017-02-24 01:19 | Comments(0)

障害者施設の裏側。

私がいた障害者施設。
いい人もいた。
しかしそうでない人もいた。

穏やかないいおばあちゃん。
口は達者で早口なおばあちゃん。

3人息子のパワフルママさん。
スーパーパワフルな看護師さんもいた。

そうでない人。
今思うとその人も毒だったと思う。
その人は同じ施設の別の場所で働いていたが
異動で私がいる施設に来た。

いつもニコニコしていていいおばさんだった。
私はおばさんが好きだった。

しかし私が今の会社の面接を受ける数日前に
最低な言葉を投げられた。

その人は私と一緒に働いていた子に対して
こ馬鹿にする所もあった。

確かに彼女は変だった。
そして私も嫌いだった。

1時間休憩なのに平気で
1時間半、2時間と休憩する
これが毎日なので私も正直イライラしていた。

障害者施設なので、休憩はしてもかまわない。
ただし、休憩時間外に休憩する際は
職員に声をかけないといけない
これは一般の会社も同じ事。

しかし彼女はこれが出来ない。

そしてある日彼女がキレタ。
「私が眠っているのに何故邪魔をする」

頭を抱えたくなるが
よしよし、怒るな、怒るな
自分に言い聞かせながら
言葉を出した。

「何時間休憩しているの?」
「休憩は1時間だよね?」

彼女は言葉を返す事が出来ない。
そもそも彼女に突発的な事を言っても
理解してもらえない。

例えば「自宅の最寄り駅何駅?」
これすら突然言うと硬直してしまう。

今回彼女は
私とパソコンを使いこなす人2人でしゃべっていて
その声で眠る事が出来ず怒りだした。

しかしこ時既に彼女は1時間半以上休憩を取っていた。
怒るなんて問題外の話しだが、彼女には通じない。

彼女は問題ばかり起こしていてこれで3回目
(私が把握しているだけで)
その後彼女はこの施設を出ていった。

のちに聞いた話しだが
とあるファストフード店の面接を受けたらしい。
面接官からこの脚立に登れるか?
の質問に「出来ない」と答え不採用になった。

たった3段しかない脚立だった。

私は彼女の話しをした。
「パッと見た瞬間は普通の子」

しかし…嫌いなおばさんは言った。
「見た目からして普通じゃない」
「あんな頭でっかい人はいない(水頭症)」

パッと見た瞬間は普通の子
しかし突然ニワトリのものまねをはじめる。
これが意外に上手いから余計に私のツボに入った。

仕事をしていると突然
「コケコッコー」とものまねをはじめる。

これからものまねするよと前置きはしない。
突然言い出す。

他にもいた。
30歳過ぎてニコニコしながら
キャラクターのトレーナーを着て
「かわいいでしょ?」

そもそもランチ2000円の店で
キャラクターのトレーナーはやめてくれ。

私は普通じゃないところにいた。
と再び思い知らされ
これからの道について考えはじめた。

そして家を出たら
絶対に居場所を毒親に教えてはいけない。
またここに入れられるのがオチだ。







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by rin-dream | 2017-02-24 00:53 | Comments(0)

羽が折れる。

毒親育ちはどうも心が弱い。
何かある度に「~だから」という思いになる。

私は今日、職場で
職場の人が帰ろうとしたので
「帰るんですか?」と聞いた。

その人は「僕のマネージャー気取りで」と言った。
その人は笑いを取る為に言ったのだろう。

しかし私はその言葉に傷ついた。
そして真面目に
「別に気取っている訳ではないです」
と素で答えた。

2人には笑いは無かった。
その後ずっと頭の中で
「気取りで」と言う言葉が流れていた。

その後私は電話をとった。
普段からスローでしかしゃべる事が出来ない。
毒親が口が達者だったからだろうと思う。

何より意見をさせるなんてのは
毒親に取って「違反」

しゃべる事すら押さえつけさせない。
私は自分で物事を考える事が出来ない子供だった。

だから小学生の時に毒親と同じように
「こうしなきゃお前は出来ない」と言い、
年下の子を殴ったり、蹴ったりしていた。

その後自分に考える力がないとわかってからは
なるべく考えてから行動するようになった。

石橋を100回以上叩いて渡る。
これが理由で、ある時は私の短所、長所にもなった。

しかし…今日の出来事は言葉も出なかった。
顔は見た事がないが、
その人の電話を何度か取った事がある。

今日はもその人からの電話を取った。
〇〇さんいますか?
〇〇さんは帰ってはくるが、
戻ってくる頃にはその人は帰っているかもしれない。

ホワイトボードには何かあってもいいように
〇〇さんの携帯の番号が書いてあった。

「お急ぎですか?」尋ねた。
すると相手は急に怒りだした。

私は何故怒っているのかわからない。
しかしそのまま話し続けた。

そして「××課の人って△△さんですよね?」と言われた。
私はその通りだったので「はい」と答えた。

かわってと言われた。
頭の中は???

理由は××課はその人とは全く関係ない部署。
何故「かわって」と言われたのか理解出来ない。
しかし言われたので指示道理に動いた。

内線を使い△△さんを呼んだ。
しかし△△さんは来客中だった。
私はその事を話した。
「ただいまあいにく△△は来客中でございまして」

その人の口調が荒くなってきた。
そして「え?え?え?」と強く言われた。

理由がわかった。
私は自立神経が壊れ
唾液が過度に出過ぎている為に
口がもごもごしてしまう。

それで聞き取れなかったのだろう。

「その人は鼻をふぅーとならしながら」
「誰でもいい。××課の人出して」

今度は内線ではなくダッシュした。
△△さんはちょうど来客が帰った所だった。

私はこの話しをした。
「え?僕?」驚いていた。
私も驚いた。そりゃあなたも驚くでしょう。
だって部署が違うんだもの。

その後自己嫌悪に陥った。
酷く疲れた。
こんなにも生きにくい生活ってあるのだろうか?

私は昔、電話を持ってトイレに行け
そう言われた会社からクビを宣告された後
舌が回らなくなり、変なイントネーションになった。

そしてお客さんから言われた。
「他の人に代わって」
悪夢再来だ。

正直もうAちゃん以外とは会話をしたくない。
明日も会社で電話も取りたくないし、会話もしたくない。

会社の人が全員嫌いな訳ではないが…
でも悲しそうに娘からもらったプレゼントを
無くしたと言うママ

子供の話しを嬉しそうにする人たち。
この会話の中に今入る気力はない。

私に持っていない普通のものは
その子供たちは当然持っている。
嫉妬。

この生活をあと1ヶ月は送らなくてはいけない。
身体は?心は持つのだろうか?

睡眠時間が殆どない状態。
4時間程しか寝ていない。

別に普通にしていれば普通に送れる生活。
しかし4時間睡眠。

昨日、一昨日と至ってはほぼ寝ていない。
ストレス過度過ぎて眠る事すら出来なかった。

ベッドに入ると苦手なコーヒーを飲んだ後のように
胃が重い。唾液が過度に出過ぎ
気になって仕方がない。

今夜も12時を過ぎたら悪魔のささやきが聞こえるだろう。
「早く寝なさい」

その後の報告。
0時19分に階段をのぼる音とともに聞こえた。






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by rin-dream | 2017-02-23 23:42 | Comments(0)

猛毒父が余命3年!しかし…

毒親育ちの人なら誰もが考える事
「消えてくれ」
私は何度願ったか?
それは数えきれない程ある。

そして…その時がなんと来た!
猛毒を持ったサイコパス型猛毒父

その人がガンになった。
それも余命3年と聞かされた。
私の中では万歳三唱。

しかし…それから11年余り。
猛毒父は今も生きている
(病院ではなく自宅で)

ピンピンとはいかないが。
いや…78歳にしてはピンピンかな?
今も車を運転している。

最近よく聞く高齢者ドライバーの事故。
猛毒父曰く「マニュアル車ではあり得ない」だそうだ。

まっどちらにせよ生きている。

猛毒を持ったサイコパス型猛毒父。
私はその人の餌として今生きている。

早く家を出たい。
ひたすらにそれを願った。

今日は通院日
最初はいい先生と思った。

今、先生が受け持っている患者の中で
私は一番睡眠薬の量が多いと言った
(現在、過去の半分以下。それで一番量が多いとは…)

薬は減らしてくれる。
(規定内でおさえてくれる)
←これは医者としては基本系のはずだが

猛毒父はいくらでも好きなだけ薬を処方する
いい子ちゃんの病院を選び私を通院させた。
そこで規定外の事薬の量を処方された。

私はとにかく「今こんな~親~で辛い」と
身体の症状、心の症状、そして毒親の行動について話しをした。

身体の症状
①とにかく痒みが止まらない
(皮膚科に行っているが原因不明と話した)
②ツバが飲み込めない
③お腹がはる

心の症状
①家を出たい
②この家にいるとおかしくなる。

毒親の行動
①全て毒

しかし…身体の症状については
「自立神経が崩れているわね」
で、終了。
何故?自立神経が崩れているか考えてもくれない。

心の状態
「何故そう思うの?」

毒親の行動
「どうしてそうなるの?」

心の状態、毒親の行動について
「何故?」と聞かれたら「どうして?」と
応えるしか出来ない。
早い話し「知らんがな!」

先生も猛毒親についての理解は全く無い。
先生からしてみれば
私の言動は「わけのわからない言動」
そして「この子おかしい?」

私は何を言っても無駄。
この時思った。

とにかく普通に睡眠薬をくれる先生。
それだけであと1ヶ月生きていこう。





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by rin-dream | 2017-02-22 21:22 | Comments(0)

生き地獄。

私は生き地獄の中にいた。

また毒父が来た。
「お金ちょうだい」

私はまだ返してはいなかった。
もう毒親の顔を見る事が出来ない。

顔を見るだけで気分が悪くなり
吐きそうになった。

「返してくれるまでここで待っている」
毒父はそう言いながら
ずっと私の部屋の前で待とうとしている。

私はそう言う毒父の声だけで
吐きそうになり、苦しい思いになった。

それがずっと前にいる。
私はお金を用意し、
テーブルの下に置いている
しかし、普通の判断さえ出来ない。

ゴキブリが目の前にいる…

気が気じゃなかった。
私はまた旅行用の小さな入れ物を投げた。

それが私が出来る精一杯。
毒父は言った。
「怒るなんてお前は間違っている」

私は怒っている訳ではない。
吐きそうになり、気分が悪くなり
髪を掻きむしる。

ただ、声を聞くだけで気持ちが悪い
顔を見るだけで気持ちが悪い。
死にそうだった。
頭がおかしくなりそうだった。
→既におかしいが…(毒親が)

しばらくして毒親は1階に戻った。
そして再び戻ってきた。

「スーパー銭湯に行こう。仲良くしよう」
お前は馬鹿か?
と思った。

私はレオが死にそうな時も
あんたと一緒にいたくない
はっきり言ったのに…
既に忘れている。
これが毒親というものだ。

私は言ってしまった。
ゴキブリ消えろ。

毒父が言った
「じゃあお前もゴキブリか?」

…。言葉が出ないが
ゴキブリの子供はゴキブリ。
私は「そうだ」と言った。

しかし…毒父がゴキブリであって私は人間
当たり前の事を思い出し
「お前はゴキブリ以下」と言った。

毒父はまた言った。
「じゃあお前はゴキブリ以下か?」

話しにならない。
私はお前を捨てる。と言った。

毒父は笑いながら
「そんな事言わないで仲良くしよう」

私はその後吐いてしまった。
心身共に毒親を心底嫌っている。

今夜も毒父から言われた
「早く寝なさい」

私は大音量でTVを見たり、CD聴いたりしていない。
ただパソコンと向き合っているだけ。

普通に考えれば
それは仕事かもしれない。

もしくは別の事かもしれないが…
私は小学生でもない。
41歳のおばさんだ。

41歳の娘に、まだこの時間
「早く寝なさい」…頭を抱えてしまう。

Aちゃんに話しをした。
Aちゃんから「過干渉?」と言われた。が
「サイコパス型猛毒親」と返信した。

もう時間はない。
あと1ヶ月で本当にここを出る事が出来るのか?





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by rin-dream | 2017-02-22 00:59 | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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