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猛毒親に育てられて。

<   2017年 02月 ( 29 )   > この月の画像一覧

午後6時半から闘い。

私の晩御飯の時間は6時。

仕事は毎日5時ちょうどに終わる。
残業はした事がない。
一度、ほんの数分だけ残業をしようとした。

ほんの数分。5分も無い。
上司から注意を受けた。

私の職場にはサービス残業というものもないし、
定時に終わるのが基本だった。

職場が駅近って事と
自宅の最寄り駅からも電車で僅か5分程。
真っすぐ帰ったら5時40分には十分家に着いた。

私はこの頃真っすぐ家に帰る事は100%なかった。
明るいうちにゴキブリがうようよしている家に
帰る事は出来なかった。

陽が落ちて自宅に帰る。

道路からカーテン越しに
出窓から気持ち悪いように見える
電気あかりが不気味に見えた。

出窓には呆れる程何かが山積みになっている
(擦りガラスになっている為中は見えない)

ここはリビングの出窓。
私はオシャレで好きだったが
いつの頃からか?
猛毒父の書斎代わりになり
私は大嫌いになった。

山積みにされた何かの書類。
その他にも椅子にもビニール袋に何かが入れられ
いくつもぶら下がっている。

荷物置き場と化したリビング。

そして心配してください。
とでも言っているかのように

薬がどっさりとテーブルに置かれている。
心休まるリビングなどほど遠い。

ガレージには猛毒父の愛用車が止まっている。
猛毒父はこの車が好きだった。

いつも〇〇円で買えた安い車。
と自慢していた。

70歳を前にして前の車が壊れ
仕方がなく中古車を買った。

以前の車は私が中学3年生~高校1年生の頃買った。
軽く25年は超えていた。
しかし壊れてしぶしぶ処分した。

走行距離〇〇キロで〇〇円は安い。
この車は最高級車と誇らしげだった。
(国産の軽自動車)

私はこの車が大嫌いだった。
猛毒父の好きな物イコール私が嫌いなもので繋がっていた。

ある時大喧嘩して猛毒父が私に言った事がある
「お父さんだって新車が欲しかった」

70歳を前にして新車?
猛毒父が考えている事が恐くもなり滑稽に見えた。

70歳と言えば
そろそろ免許を返納しようか?という時期。

2回車を乗り潰した。
(わかっているもう1台は叔父に譲った)
(そして会社から中古車をもらった)
そんなケチが70歳を目前に新車なんて買う訳がない。

そう言えば私は小学生の頃
お正月は従姉の家で過ごしていた。
と以前も話しをした。

従姉の家に行くにはいつも車で行っていた。
しかし、私は前の前の車も大嫌いだった。

約3時間はかかる道のり、
途中で私は吐き気に襲われた。
小さな窓を開け口をパクパクしていた。

誰が見ても子供が苦しそうにしている。
そう見えるはず。

しかし寒がりの猛毒父は言った
「寒いから閉めろ」

必死で吐くことを押さえていた。
悲しい小学生と悲しいお正月。

この車は私が生まれる前か?後に
猛毒父の会社が処分するとの事で譲り受けた車。
この車も大嫌いだった。

エンジン音がうるさく、
少し離れた公園を通る頃まで「我が家の車」
とわかる程うるさかった。

それだけでない。
エンストをおこすのは毎度の事。

家から数百メートル離れた坂道まで車を押し
坂道を下る力でエンジンをかける。
見慣れた風景だった。

しかしこの時私はまだ小学生~中学生。
多感の時期に恥ずかしい以外のものはなかった。

これは自宅だけの話しではない。
どこかへ出かけ。
立体駐車場に車を止める
その後エンストを起こすと同じ事をする。

買い物客がいる中での恥ずかしさ。
わかって頂けるでしょうか?

エアコンが付いていない古い車。
夏が好きな私は夏は比較的楽に過ごせた(と思う)
しかし冬は最悪だった。

真冬の寒い日に車に乗る。
その10分後も30分後も1時間後も寒いまま。
何もかわらない。

買い物客で思い出した。
嫌で嫌で仕方がなかった話しをしよう。

これは実際にあった話しだ。
猛毒父は私の事を「にゃんこ」と呼んでいた。
小学生の頃はずっとそう言っていたと思う。

私はこれが大嫌いだった。
それが...スーパーに行った時大声で叫ばれた。
「にゃんこた~ん」
私は恥ずかしさの余り逃げた。

今は古びてしまったが当時はまだにぎわっていた
片田舎にあるスーパーの
本屋か?CDショップ?での出来事。

そんな事を思い出した。
思い出せば思い出す程嫌な記憶しかない。

私は我が家の車は3台経験したが
どれもいい思い出などない。

午後6時半にはパソコンを開き
ひとり黙々と逃げる準備をし始める毎日。

この間休憩は入浴時間の1時間だけ。

《ヲタ活》の言葉も忘れた。
Blu-rayには録りためた番組が
HDDの中で苦しそうに埋まっている。

削除は1週間に1度程したが、
観る時間はほぼ無い。

買ったCD、DVD、Blu-rayは
袋から出す事もなく部屋に転がっている。




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by rin-dream | 2017-02-25 12:00 | 生きる~解放まで | Comments(0)

青の時代。

帰り際職場の人が言った。
「最近明るくなったね」
「嬉しいね」

普通に生きている人は春の訪れを喜ぶ。
私は1週間前ようやく動き出したが

何も変わっていない、今に焦り始めていた。
焦りが先にたち、春の訪れを喜べない私がいた。

なんとなく知った。
私の職場はパートひとりひとり当たり前だが
賃金が違う。

平均賃金を知って驚いた。
(1人はフルタイムではない)
(また別の2人も約20日勤務ではない)

私を含めるとこの4人以外の平均的な賃金。
それは2日間フルで働くと…
1万3千円を軽く超えた。
つまり月給6千5百円以上。

私は何を頑張っていたのだろう?
肩の力がガクッと抜けた。

あと1ヶ月で私は本当の私を取り戻す
事が出来るのだろうか?

不安でいっぱいになった。
今のタイミングを逃すと
私は一生檻の中の小鳥。

ひとつぶの雨が枯れた花を濡らす

一粒の雨
家を出た(出たあとの話し)私の思い

枯れた花
私の心

花を濡らす
心を解放する



ようやくクレジットカードを返してもらえるようになった。
私がお金の支払いに来ないので
渋々返しにきた。

クレジットカードの引き落としをする
金融機関のキャッシュカード、通帳、
クレジットカードの明細書をようやく手にした。

通帳には猛毒父のメモが残っている。
気持ち悪くて捨てたい気持ちだが

今は通帳を作り直す以外にする事は沢山ある。
全て終わった時にゆっくりしたい。



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by rin-dream | 2017-02-24 19:00 | 生きる~解放まで | Comments(0)

現実。

私の姉は高校卒業時に
寮付きの仕事を見つけ家を出た。
姉は勝者だ。
と思っていた。

実は違った。
姉は結婚前、実家からは離れた場所に住んでいた。
それも彼氏(今の旦那)の隣のマンション。

(義兄は他の土地で生まれ育ち
大学入学とともにこの土地に引っ越してきた)

実家からは電車を乗り換えて2時間程かかる場所。
車で行けば近いが
電車を使うと結構な距離になる。

それが…なんと結婚後住んだアパートは
実家から比較的近い場所になった。
私としては意外過ぎた。

私はそのアパートに何度か行った。
電車を使ってひとりで…
またある時は車で毒親と一緒に。

その後新築のマンションを買った。
これがまた前より実家が近くなった。

引っ越し当日の事を覚えている。
最寄り駅にドーナツ屋さんがあって
引っ越し祝いと持って行ったら…
義兄は昼ご飯としてドーナツを買い一人で食べていた。

そして疲れた最後のシャワー。
なんと新築物件で一番シャワーは私という…

その後甥っ子が生まれた。
元々姉は身体が弱かった。
直ぐに風邪をひいて寝込んだ

逆に私はピンピン健康体だが。

風邪をひく度、また甥っ子と2人だけの生活に疲れた時
毒母を呼んだ。

毒母は孫が見れるとホイホイと
呼ばれるがままに姉の自宅に向かった。

私は姉に対して《上手に利用しているな》と思っていた。

その後姉は家を買い替えた。
少し実家からは遠くなったが
前回と同じ最寄り駅。

あんなに毒親を憎んで家を出たはずなのに
実家から近い。
なんか変?と思っていた。

しかし…下の子も小学生に入る前の去年2月から
この家には来ていない。

早い話しが毒親も用無し。
笑い話。

そして…私は自立の為に動き出した。
まずは緊急連絡先として自宅を選んだが…
土壇場で姉に変更した。

しかし姉から返ってきた言葉は
「冷たい姉と思われるかもしれないが無理」

その後色々姉の悩み事も聞いた。
そして最後には
親を好きになれないし嫌いにもなれない。

意外な返事だった。
しかしもう一度読み返すと
問題はその悩み事にあった。

姉は自分は適応障害かもしれないと言っていた。
これは以前から聞いていたので
まだ悩んでいるのか…程度だった。

でもこの話し何年前からしている???
おかしいな?

私は転院する際詐欺病院から届いた診断書には
《軽い知的障害の疑い》と書いており
かなりショックを受けた。

そして聞いた事もない精神科病院に
短期入院を繰り返しともあった。

Wショックを受け私はこの話しを
ここでも不満たらたらに書き込んでいる。

しかし今は…あっさりしている。
詐欺病院が書いた診断書。
適当診断書。と。

実際持っていた障害者手帳には
知的障害の欄にはチェックが入ってない
と先生からも言われた。

今は病名は適応障害と睡眠障害と思っている

そして姉は延々適応障害かも?
と悩み続けている。

私はこう言った。
一生悩むんだったら、
白黒つけてみれば?


適応障害の人は車の運転出来ないし
免許取る事は出来ない
(これは事実ではない)

と言ったが、「適応障害でも運転は出来る」
それだけメッセージを送ってきた。

私は思った。「一生悩んでろ!」

私は私の人生を少しずつ歩み始めた。
毒姉について考える暇は無い。
しかし毒姉にとってはこれが辛い現実。

毒姉は2回家を住み替えた。
1回目は駅近の新築マンション
2回目は駅からはバスが必要だが
100坪はあろうか?広々とした中古の1戸建て。

毒父は何が気に入らないのか?
この2軒について
あーだ、こーだと不満を私にぶつけてきた。
(毒姉には言っていない)

この家のローンを払っているのは
毒父ではなく義兄と毒姉。

多分の話しになるが…
比較的都会に近い毒姉の家。
尚且つ2軒とも高級住宅地。

私の自宅は…土地柄余りよろしくない。
そしてど田舎。

それが不満なんだろう。
自分は「家を建てた《偉い人》」だったが

毒姉も家を建てた。
「家を建てた人」になり下がった。
《偉い人》という文字が消えた。

それが不満。





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by rin-dream | 2017-02-20 23:39 | 編集 | Comments(0)

Aちゃんの気持ち。

翌朝目覚ましかわりにしている
スマホのアラーム音で目が覚めた。

身体が動かない…

昨日、一昨日の2日で私はかなりの
体力を消耗していた。

しかし、Aちゃんの思いを踏みにじってはいけない
《仕事行かなくちゃ》
思えば思う程身体が動かない。

突然ガラガラ私の部屋のドアがあいた。
「お金欲しい」毒父の声だ。

別にお金が欲しい訳ではない。
私のクレジットカードの明細書と
振込銀行の通帳、カードを毒父に握られているのだ。

おかしくないでしょうか?
私は41歳。もういいおばちゃん。
早い人であれば孫がいてもおかしくない。
それが…通帳を握られている。
ここからして毒親の考える事だ。

私は今月まだ支払いをしていない。
しかし、既にテーブルの下には
レシートと、現金を置いて用意はしている
早い話しが毒父の顔を見たくない
ただそれだけでまだ支払いが終わってなかった。

私は今日の心配をしていた。
毒親から逃げる為のパワーを
この1週間でほぼ使いきっている
(まだ審査すらしていない状態)

そしてノックもなしに部屋に入られた。
私は3月31日まで心はもつのだろうか?
本当に逃げる事は出来るのだろうか?

しかし気づけば今日は2月20日
あと1ヶ月と1週間で全てを決めなければならない。
焦り、Aちゃんへの思いが重なる。

またもがき始めた。
仕事行かなきゃ。仕事行かなきゃ。
思えば思う程身体に力が入らない。

また勝手にドアを開けられた
「しんどい?《お父さん》が連れてってあげようか?」
私は声を出す事が出来ない

私にとって最大限の反抗に出た
枕を投げた。
なんと空しい41歳。
枕を投げる事でしか毒親に逆らえない。

しんどいイコールうつで苦しんでいる娘
連れてってあげようか?イコール優しい《お父さん》

私はうつ病ではない。
家を出たい!ともがき苦しんでいる

そして何より私はレオが亡くなる数時間前
「先にレオを病院に連れて行って」
「私はあとから電車で行く」
「あなたの車には乗りたくない」
そう言い切っている。

この人は《いいお父さん》を演じて
仕事に行かないと会社をクビになる事を心配していた。

私は這いずるように窓を開け
トイレに行った。
「お父さん車の用意出来たよ」
ため息と不安、苛立ち。

この人は何もわかっていないし、
わかろうともしていない。
逃げるしか道は残されていない。

私は残り少なくなった
トイレットペーパーを投げた。

普通の親であればこれだけの事があれば
この先口出しはしないであろう。
娘は私の事が嫌い。
感じてもいいはずだ。

しかしこの人は毒親
部屋でボディクリームを塗っていた。

声がした
「車の用意出来たよ」

涙も枯れ果て、私は
今自分が出来る最大限の事をした。

ボディクリームが入っていた
小さな旅行用のケースを投げた。

「怒らないで」
返事が返ってきた。

怒っている訳でもない。
私はなんとかしないといけない。
焦り、そして進まない苛立ちを感じた。




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by rin-dream | 2017-02-20 09:12 | 生きる~解放まで | Comments(0)

メールが届いた。

私は昨日Aちゃんから届いた
メールを読んで愕然とした。

〇〇(私)から私(Aちゃん)に言った言葉覚えてる
『お母さんがAちゃんの事悪く言う』
『あんたがこんな風になったのはAのせい』
『それで親と喧嘩した』
と…

この話しは全く記憶がない。
いつの話し?とはAちゃんからは聞かなかった。

しかし今読むと身体が震え
とてつもない恐怖感にかられた。

毒母はこの時既に毒母だったのか…
まだ《毒親》なんて言葉が無い時代。

私はこの人たちと戦おうとしていたのだ。
そして私は負け、毒親は勝利した。

ダメだとにかく早く逃げたい。
まずは部屋探しが先だが

その後の事を考え
※①住民票の閲覧禁止
※②戸籍移動
③携帯の番号を変える準備
(直ぐに済むので上京してからでもOKだが)
④カード類の住所変更
⑤運転免許証の住所変更

…考えたらきりがない。
他の《お引越し》ではない
夜逃げなのだ。
※は必須条件







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by rin-dream | 2017-02-20 01:39 | 生きる~解放まで | Comments(0)

あっさり。

毒姉に拒否され昨晩は
とてつもない地獄の中にいた。
それでもわかって欲しかった。

一緒に戦った同士。
今、辛い、だから助けて。
助けてもらえるのはあなたしかいない
必死のお願いをした。

翌朝、薬が切れ目が覚めた。
(以前の半分以下の量眠りが浅いのは仕方がない)

7時。ぽ~としていた。
窓を開ける気もおきない。
ただ枕に顔をうずめぽ~
現実逃避するしか道はなかった。

そして9時頃ようやく起き上がる
(トイレに行きたくなった)
(しかしこの日は1時頃まで行かなかった)
(膀胱炎になるぞ!)

しかしゴキブリが大量発生している1階に
降りる気持ちにはなれなかった。
(羽音だけが不気味に聞こえる)

Aちゃん、そして毒姉から返信が来ていた。
Aちゃんに《保険金詐欺事件》の話し
したつもりだったけど、していなかったらしい。
そんな事あったなんて恐ろしいと…
これが現実にあった話しだから
《毒親》《サイコパス》は恐ろしい。
人間ではないからね。

毒姉からは…家とは関わりたくない
としながらも…親の事は好きにもなれないし
嫌いにもなれないと。
そして冷たい姉と思われるかもしれないけど
今回の件では協力出来ない。

最初の文面には泣けた。
ちゃんと話し合って…
時間をかけて…
とあった。

話し合う事が出来ないから夜逃げするのだ。
時間かけて?41年かけましたが何か?
これ以上何話すんですか?

時間かけました。ええ。かけた挙句
警察呼ばれて、精神科病院に強制入院されそうになりました。
これ以上使う手が何も残っていないから
夜逃げを決めた。

この間ずっとAちゃん宛てのメールを
淡々と打っていた。
もう私に未来はない。
絶望感でいっぱいだった。

その後自殺サイトを見るようになった。
この方法は…あの方法は…
死ぬのは恐い。
しかし生きているのも恐い。
私は崩壊する事で自分を守るしかないのか?

最後の最後に頼みの綱を頼った。
不動産屋さんに電話した。
『友人を緊急連絡先にしてもいいでしょうか?』

この時私は声という声が出なくなっていた。
手は震え、声も一生懸命力を出さないと出ない。

不動産屋さんはあっさり
『大丈夫ですよ~』

私のこの悩みは一体何だったんだ!?
しかしひとつ山を越えた。



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by rin-dream | 2017-02-20 00:27 | 生きる~解放まで | Comments(0)

一生をかけての償い

母からは嫌という程聞かされてきた。
「お父さんとの結婚は、詐欺、騙された」と…


離婚しようと思えばいくらでも出来た。
何故離婚の選択をしなかったのか?


昭和44年3月に結婚し47年9月に姉が生まれている。
離婚する事はいくらでも出来た。


そして嫌いな男の子供をもう一人欲しいなど思ったのか?


そしてもうひとつ。
私が産まれる前母は前置胎盤になった。

母と私、2つの命が危なくなった。
母は私が産まれるまで入院を余儀なくされた。


この頃の看護婦師さんの悪口を嫌という程聞かされた
私は母のお腹にいる時から2人の愚痴を聞いていたのだろう


しかし私は助かった。何故助かったのか?


こうやって私という最悪な人間は誕生した。

あの時こうすれば…
という幾つもの最悪が重なり誕生した私という存在。


前世というものが存在するのならば
私は凶悪犯だったに違いない。


その為私は現世で苦痛の中生きるという
苦しい償いをしているのだ。


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by rin-dream | 2017-02-19 02:55 | 一生許すことが出来ない虐待 | Comments(0)

サイコパスへ。

私の父はサイコパスである。

聞いた話も嘘か真かはわからない。
それ程嘘が上手なのである。

父は田舎からこの土地に引っ越してきた。
母もまた田舎からこの土地に引っ越してきた。

その当時はまだ知らない者同士。
しかし、その後実家の方でお見合い話しが出
その後結婚した。

父と母は重い病にこの土地に引っ越し後侵された

しかしそれが知り合う前なのか?あとなのか?
さえ知らない。

それは就職後なのか?就職前?
なのかも知らない。

謎だらけだ。

昔1度だけ聞いた
戦争があったから皆より1コ学年が下だ。
これも1回しか聞いた事が無いので不明だ。

しかしこれこそがサイコパスだ。という話はいくつか聞いた。
昔の自分はスゴイとばかりに話しをするのだが
私には奇怪な行動にしか見えない。

①学校の先生にイジメられた。
→先生(大人)が暴力を振るう。
→自分は子供だから竹刀(道具)で応戦した
→先生はぎゃふんと言った。

普通小学生の子供がそんな事するだろうか?
これを聞いた時ゾッとした事を覚えている。

②冬になるとバカが現れる。
→自分は寒がり。
→しかしストーブ近くの席の子は暑いと窓を開ける
→窓を開けたら男女お構いなしに殴った。
(アイツらはバカだ)
(今でもこの話しで盛り上がる(同窓会などで))

男女お構いなしに殴る。
声を掛ければいいだけだ。
それも女の子まで…
この頃からDV癖はあったのか…

と青ざめた。
そしてこれを笑い話しにしている。



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by rin-dream | 2017-02-19 02:53 | 一生許すことが出来ない虐待 | Comments(0)

毒姉への最後のお願い。

日時: 2017219 0:02:15
件名: 最後の言葉。


追記。高校生の時摂食障害になりましたね。あの頃冷蔵庫の中がいつも空だった事を今でも覚えています。私は何故摂食障害になったのかはわかりません。学校で何があったのか?バイト先で何があったのか?は。しかしこの狂った家も原因のひとつではなかったのではないでしょうか?ジジイと喧嘩する度にいつもバタンとキツく扉を閉めていましたね。あの扉今は壊れ、閉める度にギギギと音をたて、バタンとは閉まらなくなりました。この家です。この家(家庭)と同じように時間と共に壊れたのでしょう。

メッセージだし、読むか読まないかは姉自身に決めてもらいます。しかし読まないのであれば現実から背を向け逃げた事になる。これは毒親と同じです。つまりねーちゃんも毒姉だっただけです。

読んで何も響かないのであればこれも毒親と同じように毒姉です。私は思い出してあの時のねーちゃんと同じ思いだから助けて。と言っているのに「ふ~んだから?」は十分毒姉です。

私は一か八かの賭けに出ました。姉が毒姉か、普通の姉なのかを確かめる事にしました。姉が毒なら私の人生は終わりです。もし普通の姉なら助けてくれるかもしれません。

(家庭があるのでゴメン助けてあげたいけど)とくれば姉は普通の姉でしょう。これだけでも私の心の持ちようは変わります。さあ賽は投げました。これはある意味ゲームです。


毒姉には~共に壊れたのでしょうまで送り
Aちゃんにこの全文を送りました。

そうです。これはある意味
私のこれからの人生全てをかけた大ゲームです。

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by rin-dream | 2017-02-19 02:07 | 生きる~解放まで | Comments(0)

メールのやり取り。

日時: 2017218 23:39:5

保証人では無いです。保証人は保証会社にお願いしました。万が一家賃を滞納する事態がおこれば、滞納後直ぐに保証会社に連絡がいき私は部屋から追い出されます。そして、私は滞納した分の家賃を払い終えるまで、保証会社からは逃げられません。私が頼んでいるのは緊急連絡先です。もし私が怪我、病気で倒れたりしたときに連絡が行く人の事です。保証人では無いので家賃を滞納しても緊急連絡先の人は無害です。心配になるのであれば一度調べてみて下さい。

私はこの狂った家から逃げたいだけなんです。家賃滞納して周囲を苦しめたり、嫌がらせなどは一切考えていませんし、そんな悪趣味を持っていません。41年苦しみました。この苦しみから解放させて下さい。切実な願いです。私に一生奴隷で終われと言うのですか?私を奴隷生活から解放出来るのはねーちゃんしかこの世にいないから頼んでいるんです。

早く私を解放させて下さい。金曜日は職場で胃痛の為仕事もままならない状態になりました。原因不明の皮膚の病気にもなりました。半年以上皮膚科に通っています。が、日に日に酷い状態になり、今では髪をかきあげるだけでフケが舞うようになりました。初めは首からきて頭に、そして今では顔も皮膚がめくれている状態です。体重減が止まりません。1年前に見た私の姿は今はありません。勝手に決められた病院をやめ、私が決めた病院に転院しました。勝手に決められた病院では変な病名を付けられ、ホルモンのバランスを崩れる薬を処方され、生理も止まりました。その上国が定めた規定の倍の薬を出されていた事も知りました。そして先生から告げられた病名は『適応障害』です。〇〇と同じ病名なので耳にした事はあるはずです。私は自宅に適応出来ない『適応障害』です。自宅に適応出来ないなんてと鼻で笑ってしまうような話しですが、本にも載るような有名な病院の先生から告げられたので真実でしょう。この適応障害を治すには適応出来る環境に身を置くしか方法は無いんです。薬をもらっても対処療法にしかなりません。だから家から出させて下さい。健康な身体を取り戻し、普通の生活をしたいだけなんです。他は望んではいません。一生に一度のお願いです。この家から解放させて下さい。もうあの2人の思い通りになるいい子ちゃんは疲れました。ねーちゃんは18歳の時に就職を機に家を出て、この腐った家から解放されました。もうその倍の人生を生きています。私の切羽詰まった状態は忘れてしまった過去で思い出す事は難しいかもしれません。今は家庭を持ち、この家の事も過去のひとつかもしれません。でも残された私を救い出す事が出来るのはねーちゃん以外いないのです。

覚えていますか?ババアがジジイの振り回した新聞たてで大怪我をおい、その事を結婚してまもないねーちゃんは「恥だ」と怒っていました。私はあの後の修羅場をずっと見てきました。あの後ジジイはババアに『自転車でこけたことにしとけ』と脅迫し(保険金が出ない為)その後保険金はおりました。これは立派な犯罪です(大怪我だけでも立派な犯罪)その後もジジイは何かにつけ「あの時殺せば良かった」と言っていました。私は当時一人暮らし出来るには十分すぎる程の貯えはありましたが「殺人者(被害者)の娘」になりたくない。の思いが溢れ家を飛び出す事が出来ませんでした。あの時の恐怖はあれを見た私にしかわからないでしょう。その後睡眠障害になり今も苦しんでいます。

ねーちゃんはこの家に関わりたくないのはわかります。でも私もここから抜け出したいけれど抜け出すことが出来ないから病気になったり、ストレスで胃が悪くなったりしているんです。私を解放させて下さい。他は何の欲求もありません。家を出たいだけなんです。この家にいるだけで気が狂いそうなんです。しかし私は狂ってる自分にはなりたくありません。自分の足で自分の人生歩んで行きたい(生きたい)からこの家を出たいんです。

昔私に言った言葉を思い出して下さい「赤ちゃん産むの恐いからいらない」皆誰も恐いでしょう。鼻からスイカを出すとまで言われています。しかし現実は2人の息子のママです。2回鼻からスイカを出しました。どんな思いで「赤ちゃん産むのが恐い」って言ったのですか?本当は「親になるのが恐い」だったのではないのですか?その時の思いをどうか思い出して私の背中を押してもらえませんか?家を出たい私の気持ちを受け入れてもらえませんか?

メッセージ送った。これでも受け止めてもらえないなら私の人生終わった。


これはAちゃんと毒姉に送ったメールの全文である
※特定の人の名前を書いているので伏せさせて頂きました。

私の本音全てだ。
どうかお願い!私の思いはそれだけだった。

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by rin-dream | 2017-02-19 02:01 | 生きる~解放まで | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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