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猛毒親に育てられて。

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史上最低記念日。

私は1年間の中で特に3月末が大嫌い。

昔学校に行けなくて鬱になった。
昔はそれだから。と思っていた。

しかし、今は違うとはっきり言える。
それは昭和44年3月28日

サイコパス型猛毒父と毒母は結ばれた。
いわゆる結婚記念日というものだ。

今も毒母の左手薬指に金色に光る指輪。
正直外せばいいのにと思う。

愛してもいない奴からもらった指輪。
そして結婚指輪なのに何故か?金色。

金がないからかたちだけの指輪。
そんなのいらない。

愛してもいない奴からなら尚更だ。




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by rin-dream | 2017-03-29 00:02 | 生きる~解放まで | Comments(0)

時が来た。

私はAちゃんに縋るようにいた。

Aちゃんがいなくなれば
それは私の死も意味している。

当たり前だがサイコパス型猛毒父、毒母、毒姉の話しも
Aちゃん以外には話しはしていない。

全てをAちゃんに依存する形になっていた。

AちゃんはLINEはしていない。
その為メールになる。
メールになるとついロングメールを送ってしまった。

内容の殆どは毒親についてだった。

唯一と言えば、東京に行っている間は
少し毒親話しだけでなく「今の話し」もした。

その後Aちゃんにも心の変化が現れる。
その話しを聞いて思った。

私が持っている、サイコパス型猛毒父、毒母から
流された毒をAちゃんに流している。

罪の意識に苛まれていた。

私にはこの頃既に『心の余裕』を失っていた。
職場でのストレス。
病院でのストレス。
毒親からの猛毒により。

そして何より…部屋が決まらないストレス。
私はこの頃には部屋も決まり幸せを感じている。
そう信じて疑わなかった。

その為に生きる道を決めた時から
部屋探しで家に帰るとパソコンに向かい
毎晩2時~3時にベッドに入る。
そんな生活をしていた。

昔の日記(手帳)を読むと
3月の上旬には部屋が決まっていた。

しかし3月28日現在まだ部屋は決まっていない。
私にとってこれが一番のストレスの要因になった。

そして少し、また少しと私はAちゃんからくるメールを
《毒》と感じるようになってきた。

Aちゃんは何気ない気持ちで送ったと思う。
しかし私には《毒》と感じた。

それが日を追うごとに
イライラ、ストレスの原因になった。

そして…私はAちゃんからのメールにブチ切れた。

色々な内容の事を書いて私に送ってきた。
この全てが私をイライラさせた。

そして頭に来た私は冒頭に
『全て私が悪い』と打って送った。

私からしてみれば
Aちゃんの言い分はわかった。

全て私が悪いんでしょ?
私が悪いと言えばそれで気が済むんでしょ?

遠回りをしてそんな気持ちを込めて送った。
私はAちゃんから『言い過ぎた』とくる…と思っていた。

しかしAちゃんから来た返事の冒頭は
『良かった』だった。

そして私はキレタ。

少し休もうか。
私が逆ギレしてどうする?
こんな時期に。

私は小学生の頃から付き合っている
Aちゃんに対しても心の余裕すら失くしかけていた。





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by rin-dream | 2017-03-28 20:37 | 生きる~解放まで | Comments(0)

物件探し。

物件を探しはじめて3ヶ月。
はじめは夢いっぱいだった。

ここにあそこに住んでみたい。
その後実際に東京に足を運んだ。

それから1ヶ月半
はじめ紹介された物件は夢だったのか?

東京都心から僅かの距離から
どんどん離れていく。

駅名聞いただけでわかる。
2年だけだが東京在住だった。

都心から電車で10分・・・
都心から電車で20分・・・
都心から電車で30分・・・

気がついたら都心から電車で40分を過ぎていた。

不動産屋さんからも言われていた。
『田舎に行ったら行ったらで審査難しいから』

その言葉とは裏腹に都心から離れていく。
ネットでは同じ家賃で都心に近い物件が掲載されている。

これが現実だったのかもしれない。

毒親と離れる事。
毒親からの卒業。

都内に行っても今と変わらない田舎暮らし。

お金が無い。
職が無い私の現実。

私は遅くなったが専門学校の就職サイトに再手続きをした。
久しぶりに見る専門学校の就職サイト。

ある意味夢に溢れている。
そしてある意味現実をみているサイト。

年齢25歳まで。
私には申し込みさえ難しい。

過去32歳でも申し込みをした。
それから既に9年。
夢を見るには余りにも遅い就職サイト。

普通の人なら管理職に就いてもおかしくない年齢になった。
私は再就職というかたちで「新人枠」で探している。

これが今の私の現実。
30歳を過ぎて突然障害者として障害者施設に入った。
それからの私は何の特別な仕事という仕事はしていない。

全て雑用。

これが猛毒父によって齎された
「同じお金もらうなら遊んでいる方がいい」

猛毒父はいい会社で運転手として働いていた。
いつもトイレで2時間~3時間は潰していた。
そのつけは全て私に回ってきた。

私は仕事が大好きだった。
いつも仕事をバリバリしていた。
トイレでも電話をとっていた。

そんな私は41歳にして新人として仕事を探している。
全てが屈辱だった。

これが猛毒父が作った全て。
毒といても私には幸は訪れない。
全て不幸。

全てを悟った瞬間。
余りにも遅いその時。
41歳春。

毒親の巣近くの桜は
温かい日が訪れば今にも咲きそうな桜。





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by rin-dream | 2017-03-27 01:03 | 生きる~解放まで | Comments(0)

毒を持っている先生?

今日は通院の日だった。

先生からは
「仕事延長出来てよかったね」と言われた。
私は直ぐに「よくない」と反発した。

私は障害者雇用でそこで働いている。
毎日、毎日する事は雑用と掃除。
それしかしていない。

しかし先生は「〇〇だよね?」と
私の会社の名前を出して驚いている。

確かに人が聞けばいい会社かもしれない。
しかし私は正社員ではない。アルバイト。
そして障害者雇用。

私は辞めるつもりにしている事も伝えた。
先生はここ辞めるつもり?とまた驚かれた。

「辞めるの?」
「いい会社なのに?」
先生の頭の中は疑問だらけ。

私は思った。
「〇〇会社って大きい有名な会社」
「この会社を定年まで勤めた」
「だからお父さんは偉い」
そう言っていた猛毒父と同じだ。と。

私と先生の中に壁が出来ていた。

先生に猛毒父の話しをしても
「何故?」と首を傾げるだけ。

それはAちゃんと全く同じ。
しかしAちゃんは精神科医ではない。

先生は私の全てを受け入れてくれると思っていた。
しかし逆に毒親より私の方が頭がイカレテいると思われている。

この病院からも逃げたいと思った。
ここは私の居場所ではない。

確かに薬を減らしてくれるいい先生かもしれない。
しかし私に寄り添っていない事を考えれば
私にとってはいい病院ではない。

全てを捨てて早く東京に逃げたい。
別に誰も知らない小さな会社でもいい。
何より小さなアパートでいい。

自分の居場所を見つけたい。


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by rin-dream | 2017-03-23 00:29 | 生きる~解放まで | Comments(0)

無いはずの物。

不動産屋さんから着信があった。

仕事が終わったあとに不動産屋さんに電話をした。
《審査に落ちた》との事だった。

3回審査を通して2回落ちた。
1回は通ったが…トラブルがおき入居困難になった。

私は項垂れるように毒親の巣に行った。

私は自分の部屋に戻り
絶句してしまった。

それは…
去年に断捨離した時に捨てた物が
部屋の真ん中に置いてあった。

どうして?どうしてこれがここにあるの?
私の中で言葉にならない言葉で叫んでいた。

今朝仕事に行く前に部屋を片付けて巣を出た。
その時にこれはなかった。

そして明るい毒母の声が聞こえた
「ごはん出来たわよ」

私の心の中は恐怖でいっぱいだった。









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by rin-dream | 2017-03-21 19:04 | 生きる~解放まで | Comments(0)

エンドレスサマー

私は昨日の猛毒父の不思議な発言について
Aちゃんに話しをした。

Aちゃんは疑問のメールを私に送った。
そもそもこれが理解出来たら
私は家を出たいなんて思わない。

私は41歳。孫がいてもおかしくない年齢になった。
この私の自立を反対している。
毒親だからこそなせる業。

日付がわからない日記を読んで
断捨離の手が止まってしまった。

もうそろそろ毒父の声が聞こえる時間
「早く寝なさい」

私はiPodを付けた。
猛毒父の声を《拒否》する為。

エンドレスサマーが流れた。
私はこの曲が大好き

私は冬生まれだが
冬は大嫌い。夏大好き。

この話しをするといつも人から不思議がられた。
けれどきっと答えは…

コンサート

そこにあったと思う。
私にとって全てだった。
コンサートがあったから
今も生きている
そう言っても過言ではない。

初めてのコンサートは夏。
あの夏は一生忘れない。

とても天気が良かった。
日差しが眩しかった。

駅を出ると太陽が私の身体を包んだ。
夏の太陽だが
とても暖かく、穏やかな太陽。

コンサートというものは今まで
ビデオでしか見た事がなかった。

会場に入ると私はアリーナ席の一番後ろだった。
しかし席なんてどうでもいい。

夢にまでみた光GENJIを見る事が出来る。
脚がガタガタと震え始めた。

そして…隣に座っていた
女の子2人が席を立った。

今はコンサート会場では見ないであろう
ピンク〇ウスの服を着ていた女の子2人

席を立つ際私たちにこう言った
「トイレに行くから鞄みていて」

彼女らが帰ってきたら今度は私たちが言った
「トイレに行くから鞄見ていて」

今ではあり得ない話。
しかし光GENJIのファンは礼儀正しかったと思う。

今では一緒のホテルに泊まっている友人の鞄を
開ける人がいるともいう。
嫌な世の中になったと思う。

そしてコンサートが始まった。
意外にも衣装、セットリストなども覚えている。

私は大興奮状態だった。
今なら…

『それは昔だから出来た』
『若かったから』
で済まされるような事もした。

(※席の移動はしていない)
(うちわは…この時まだ存在していないハズ)

それから2年後私はある出会いをした。
この人との出会いが私の運命を変えた…
と言っても過言ではない。

そんな昔を時を経てNEWSの曲を聴いて思い出す。

まだ夢に夢見た季節が心(ここ)にあるから
僕らは行くよもう一度輝く自分を探す旅

明日を夢見たキセキは今日もどこかで
「まだやれるよ」って君の背中押してくれるから

いまの自分が思うような自分じゃなくても
扉はきっときっとあの夢に繋がっているから

これは“夢を追う応援歌”

しかし私は法に触れない限りどんな手を使ってでも
毒親からの独立を信じ

必ず自由を手に入れる




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by rin-dream | 2017-03-21 01:03 | 生きる~解放まで | Comments(0)

毒親日記。リアルな心情。

私は昨日から家を出る為に断捨離を本格的にはじめた。

今まで決して手を付けなかった
光GENJIグッツにまで手を付けた。

そして…次は専門学校時代のものにも手を付けた。
私にとって入りたくて入りたくて仕方がなかった専門学校。

皆より12年も遅れて入学した。
私にとって幸せな時間だった
(正確にはうつの為辛い時でもあったが)

専門学校時代のものは一切捨てていない。
紙切れ一枚全て残してある。
私にとっては全てが大切な思い出。

それに手を付けた。
案の定手を付けたが一向に断捨離は進まない。

そしてあるノートを見つけた。
それはT〇Sで買ったお気に入りのノートだった。

まだ開園して間もなかった。
大事にとっていて
そして専門学校行った時に使おうと決めていたもの。

何か書いてあるのかな?
ワクワク感いっぱいでページをめくった。
そして言葉を失った。

この先は一切編集無しで書かれてあるもの全てを書こう。


こんな家に生まれてきたのが、そもそも間違いだったんだよ。
よくTVで子供は親を選んで生まれてくるとか言うけれど…
それはでたらめだね。私が証明するよ。

子供が大嫌いで人を愛しない。自分を愛されない。なぐることしか
頭にない奴。いったい生まれてから、今まで何回なぐられたの
だろうか?躾との名目で…。布団たたきで、掃除機のホースで。
全く身に覚えのないことで何回なぐられたのだろうか?

そんな奴が子供のつくり方だけ知って、子供つくって。。。
何年か前に死んだあのくそばーさんさえいなけりゃ
私、この世に生まれてこなかったんだね。
それか、赤ちゃんの時にとっとと死んでりゃよかった。

そして母親。あいつも最悪。この世界中であの男の次に
最悪な人間。
布団たたきで、殴られてる時も、洗濯機のホースで殴られた時も
助けてもくれない。
一回、男にボコボコになぐられバイトから帰ってきて、
バイトやめるって言ったら、同情されたいの?だって。

愛されたかった。父親にも母親にも。
それはかなわない愛だった。
だから死ぬことにした。

もう死にたい。今の気持ちはそれだけ…。
今すぐこの世からいなくなりたい。
だって私ってこの世に非必要な人間だもの。
もともといらない人間が生きている事がおかしいんだよ。

18か20ぐらいの時はじめて、うでを切った。
もちろんいたいとはかんじた。そして今日も切った。
薬のせいか?酒のせいか?なんとも思わなかった…。

もうだめ。あの2人が生きている以上私には
幸せはこない。

私の病気に対する理解全くゼロ。
知ろうとする努力全くゼロ。

死んで。神様がいるのならあの2人を殺して。
いらない。あの2人ともいらない人間
不必要な人間。

愛されたかった。今日雑誌で家族大好きって
ページを見た。うらやましかった。
私には家族なんて存在しない。
全く愛のない家だった。

母親なんて、いじめにあってる私に対して、
ほんのどの家にでもある普通の親子ゲンカに
“だから友達できないのよ”って。
それがどんだけ辛い言葉だったかわかりますか?
そういえばあなたから首しめられて殺されかけた事も
ありました。
愛がほしかった。何より愛がほしかった。
愛されたかった。。両親から愛されたかった。

そして4年半前、父親は母親を殺しかけました。
最初は母親が悪かったのだが、
殺しかけるほど、雑誌入れるたなでなぐるのはどうかと…

はっきり言って、警察行って被害届け出してほしかった。
あの男をどうにかしてほかしかった。

あの男は車の中で私にはっきり言った。
あいつが悪いから殺そうと思った。
わしは悪いと思えば何が何だろうと殺すと…。

それも運転中、急ブレーキをかけて…。
後ろに車がありながら…。

この家はおかしい。くるってる。

そんなくるってるこの家にいたのは結婚ぐらいしたかったから。
何かあればすぐ私が警察呼べる。

姉は言っていた。あの事件以来、片身がせまいて
でも結婚できたじゃん。
私も、人に愛され、愛して、結こんぐらいしたい。
だから結婚するまで家にいると決めた。


誤字脱字などありますが、
これが書いてあった内容の全文全てです。

私は普段方言を使っていますが
ほとんど方言出ていませんね。

もっと驚くべき点と言えば
見事に《お父さん》《お母さん》という単語を出していません。

今の私と同じです。
今の私も毒父、毒母としか話していません。

そして私自身も忘れていた事も書いてありました。
『同情されたいの?』と言われた事。

そしてはじめてリストカットをしたのが
18歳か20歳くらいの頃。

私は同情されたいの?と言われた事は
これを読むまで忘れていました。

リストカットは30代入ってからが
はじめてと思っていました。

私は過去に私は全てを覚えているパターン
と言っていましたが
忘れている点もあったのですね。

この中では保険金詐欺事件の事を
4年半前といっています。

きっと20代の頃。
専門学校行く前に書いたと思われます。

私は結婚だけの為にこの家にいたなんて
自分が愚かだと思ったと同時に

余りにもリアルな日記に
悲しさ、虚しさを感じました。

日付は書いていません。
死にたいと思う程の事が
これを書く前に起こったのでしょう…

山のように積み重なる
専門学校時代の書類に埋もれながら

私は今この日記と向き合っています。



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by rin-dream | 2017-03-20 23:20 | 生きる~解放まで | Comments(0)

猛毒父の反撃開始。

私は昨日、一昨日と東京に行ってきた。
今回いい物件は見つからなかった。

昨日家に戻ったのは夜12時頃。

今日は朝から断捨離をしていた。
全てを新しい住まいに持って行くのは不可能。
少し物を減らそうと思った。

ビデオテープは100本近く捨てた。
同じようにMD、カセットテープ

そして今まで絶対に手を付けなかったものも捨てた。
光GENJIのもの。

辛い学童期の私にとって
何よりの宝だった。
それを捨てた。

毒親は少しずつ何かを感じ始めていた。
私は今年に入り
家を留守にする事が多くなった
(家探しとただ家に居たくない理由で遊んでいる)

休日一度家を出ると遅い時間まで帰ってこない。
平日も陽が落ちるまで家には帰らない。
そして夜中までパソコンに向かっている。

今日猛毒父にこんな事を言われた。

「昨日男から電話があった」
「男はお前を脅している」
「何をしているのか知らない」
「変なものに巻き込まれるな」

私には誰が私を脅しているのか全くわからない
部屋はまだ決まっていない。
誰が私を脅しているんだ?

唯一脅していると言えば
この猛毒父だろう。

男が脅している
だから何もするな

そう言って私を脅している
静かに猛毒父は動き始めた。


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by rin-dream | 2017-03-20 01:43 | 生きる~解放まで | Comments(0)

苦悩の一日。

今日は朝からブルーだった。

この1年元気に出勤した記憶がない。
私は毎日交番の前を通る。
そして挨拶される。

私は元気がなくても挨拶はしていた。
「いつも元気だね」
と言われる事もあった。
(元気では無いが)

しかし、あの日を境に挨拶をやめた。

その人には関係のない話しだと思う。
しかし《同じ仕事》と思うだけで
なんとも言えない思いになり

その後やめた。
頭を軽く下げるだけにした。

そしていつも始業15分前には職場についた。
しかし…去年の春の訪れとともに
始業1~2分前まで
更衣室に引きこもるようになった。

全てが壊れていく助長だったのかもしれない。

私は今日出勤をすると
デスクの横に段ボールいっぱいの
ファイルが置いてあった。

上司から指示があった。
これを片付けて。

そして片付けをする為私は跪いていた。
私はロングスカートを履いていた。

スカートを踏まれた。
その後謝りもせず通り過ぎて行った。

そしていつものように
暗い倉庫に行き輪転機を動かした。

無性に悲しくて悲しくて
涙が止まらなくなった。

私は障害者じゃない。
私は普通の人。

そう思う為か?
私の趣味の話しなのか?

いつもオシャレと職場で言われていた。
靴はいつも拘っていた。

私は暗い倉庫で輪転機を動かしながら
心の中で叫んだ。
どうして?どうして?どうして?

その後は印刷した紙を約1時間かけて重ねる。
輪転機を使って印刷すると
手が真っ黒になった。

黒い手を見つめて
また切なくなった。

その後正社員の人が私の所に来た。
『これ貼り貼りして』

私はその人を睨みつけてしまった。

貼り貼りしてとは
セロハンテープを貼って下さいという意味。

たまに折り折りしてとも言われる。
これは紙を折って下さいという意味。

私は41歳。
赤ちゃん言葉を使われる年齢は
大昔に過ぎている。

障害者という事はこういう事なのだ。
デスクの上には年下の子からの頼まれ仕事もあった。
《シールを作る》

その人は私がいなければ
シールを作る作業は自分でするだろう。
実際に去年の春までは自分でしていた。

今では私に頼むようになった。
全てを仕上げても僅か1~2分しかかからない。

そんなに急いでいる訳でもない。
面倒な仕事は全て私に回ってきた。

私はなんでも出来る!
同じ庶務の人にそう言った。

そう言い切ったからには
もちろん全部仕上げる。
私は仕上げてみせた。

その後私にも仕事が回ってくるようになった。
紙を重ねたり、紙を折ったりの単純作業ではない。

普通の会社員の人が
普通にする仕事。
そんな仕事が回ってきた。

一度上司に《これと同じ表》を作ってと
頼まれた事があった。

私はその時別の仕事をしていた。
私は上司がお昼に出た40分程の間に表を仕上げた。
上司が戻った時にはまた別の仕事をしていた。

『まだ出来てないよね?』と言われたが
『出来ました』と出来上がった表を渡した。
上司は驚いていた。

別に驚く事ではない。
私は普通に仕事をしたまでの事。

いつも輪転機に向かう私を
薄ら喜んでいる人もいる。

その人にもスカートを踏まれた。
その日は真っ白いスカートだった。
空しく靴痕がスカートに残った。
何度も馬鹿にされた。

このブログを読んでくれている方の小学生時代に
障害者学級というものはあっただろうか?

私の小学校にもあった。
例えば花組とする。

みな『花の子』と蔑んで呼んでいた。
誰もそんな言い方したらダメなんていう人はいなかった。
そして花組の人と一緒に遊ぼうと誘う人もいなかった。

まさに今私はそれと同じ状態にいる。
皆から蔑まれている私。

毒親からも蔑まれた。
そして今。

障害者にさせられて職場からも蔑まれている。

これがこの先何年続くのだろう?
障害者になった過去全てを消し去りたいと思った。

これはサイコパス型猛毒父によって
全てでっち上げられた。

そして今は家庭内暴力を振るう娘を持つお父さん
として社会で生きている。

こんな人を作り上げた世の中を恨みたい気持ちで
いっぱいになった。

私が何をしたの?
何かいけない事をしましたか?

毒親に育てられて苦労ばかりの人生だった。
これ以上どんな苦労をすればいいのでしょうか?




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by rin-dream | 2017-03-15 00:16 | 生きる~解放まで | Comments(0)

猛毒父の崩壊?

私の家は色々な所でガタがきている。
建てられて38年。

はじめにガタがきたのはトイレだった。
当時汲み取り式のトイレ。

洋式ではあったが、
少量の水を流し汚物を外に出した。

このトイレが壊れた。
夏場は悲惨以外の何ものでもない。

ウジ虫が湧いた。
トイレに少しでも長く座っていると

気が付いた時には
身体にウジ虫がついていた時もあった。

その後数回直したがまた壊れた。
1度便器を変えた。

しかし似た便器にした。
その為また直ぐに壊れた。
それも数回直して壊れてを繰り返し…

最終的には叔母の旦那さんの会社で
便器を買い取り付けた。

その便器は壊れる事はなかった。
が街が汲み取り式から下水に変わるのをきっかけに
便器を再び買い替えた。

この時取り換え工事で
トイレが数日間使えなく
仕方がなく道路に簡易式トイレを置き
そこでようをたした。

この時私は既に成人している。
道路でトイレするなんて恥ずかしい以外のなにものでもなかった。

それからは徐々に壊れていく。
②お風呂(壁がタイルでない為壁が水を吸い腐った)
③脱衣所の床(床がはがれ落ちた)
④キッチン(床とシンクが壊れた)
⑤再びお風呂(シャワーが壊れた)
⑥ポストとインターフォン
(ポストはガムテープで補修)
(インターフォンは鳴らない状態で数年放置した)

⑦猛毒父が寝ている部屋の雨戸
(閉まらなくなったまま未だ放置)

⑧玄関の扉
(ドアノブが無い状態で未だ放置)

⑨1階の廊下と2階の小さく狭い廊下
(至る所で床が凹んでいる)

⑩1階のドアは閉まらなくなった。
⑪トイレのドアも閉まらない
⑫脱衣所のドアも閉まらない
⑬お風呂のドアも開け閉めがしずらい

まだまだ壊れている所は多数。
しかし今も壊れているが
直していない重大な所がある。

それは…脱衣所にある洗面台。
水がポタポタと零れる。
そしてある日猛毒父は直した。

しかし直して2日後の今日
私は手を洗おうと洗面台を使った。
水浸しになっていた。

なんと直したはずの洗面台は直ってはいなかった。
水道管から水が零れ出ていた。

きっと猛毒父はそれを見たら落胆するだろう。
猛毒父は少し、また少し
自分の思い通りにならない事が増えてきた。

昨日は私はリビングでお湯をこぼした。
瞬間猛毒父は舌打ちをした。
《お父さんが買った絨毯に染みがつく》

この先私をコントロール出来なくなった時
どんな手を使うかわからない。

サイコパス。
私は不安で不安で心を落ち着かせる事が出来なくなった。


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by rin-dream | 2017-03-13 02:29 | 生きる~解放まで | Comments(0)



私の家庭は物心ついた頃には既に機能不全家庭。そこから旅立つまでの長い長い物語。
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